宵の朔に-主さまの気まぐれ-
「兄さん、激しい運動はまだ控えて頂きたいのですが」


少し眠った後居間にひょっこり顔を出した朔は、縁側でうっすら見えている月を見上げたままの輝夜にそう声をかけられて苦笑した。


「ばればれか」


「ええ、ばればれですとも。ですので蜃を使ってここら一帯をぼかしていますから、‟渡り”は都合のいい夢を見ているままの状態ですよ」


「蜃?」


輝夜が懐から取り出したのは、小さな白い貝だった。

隣に座った朔がそれを目を丸くして見ていると、輝夜は端的にその説明をしてみせた。


「これが夢を見せるんです。この屋敷に侵入すれば蜃が発動する仕組みです。詳しい原理は内緒ということで」


「ふうん、そのおかげで助かった」


「ふふ、兄さんは我慢できなかったんですね。‟渡り”を殺した後のご褒美だったのでは?」


「正直もう限界だった。あのまま耐えてれば気でも触れて襲いかかっていたかもしれないな」


「猛々しいですねえ。その様子では祝言を挙げる前に子ができてしまうかもしれませんね」


「それならそれでいい。既成事実を先に作ってしまえばこっちのものだ」


兄弟ふたり、にやりと笑った後また輝夜が薄い色の月を見上げると、朔はまた急に不安に襲われて、輝夜の頬を両手で挟んで無理矢理自分の方に向かせると、輝夜の首が変な音を立てた。


「いたたた、何するんですか」


「‟上”ばかり見上げるな。お前が居るのは‟下”なんだ。お前の居場所はこっちなんだぞ」


「ああすいません、つい癖で」


癖といえばいつも緩んでいる輝夜の胸元をきっちり閉めてやった朔は、輝夜が答えないと知っていながらも、問うた。


「お前は依然俺の相手は決まっている、と言った。俺は…芙蓉なんだと思う。確信があるんだ。…ああ答えなくていいぞ、独り言だから」


「彼女の真名ですね、名は体を表すと言いますが全くその通りだなあ」


――二人が縁側で仲良さげに話しているのを見ていた者が居る。

泣きながらその場から逃げるように立ち去って、茫然として動けなくなった者の存在に輝夜は気付いていたが、敢えて声をかけなかった。

それが正しいのかどうか分からなかったが、そうしたらどうなるだろう、と思っていた。
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