宵の朔に-主さまの気まぐれ-
その日、凶姫と柚葉は朔と輝夜に案内されて地下の主に会いに行った。

自らこの地下に入り、自らの意思で牢に入っている者の姿は美しく、朔の話では小さな頃からその美しさは変わっていないと聞いていたが――


「とてもきれいな方ね…。だけど朔……」


「そうだ、彼女は‟渡り”なんだ」


凶姫を恐怖のどん底に陥れた‟渡り”であり、かつて十六夜や朔たちをも煩わせて息吹を危険な目にも遭わせた張本人。

この国の妖のほとんどは、彼女の存在を知らない。

強固な結界で守られ、静かに時を待っている――


静かに座している‟渡り”が顔を上げると、長い金の髪がさらりと揺れて、雪男のような真っ青な美しい目でじっと見られた。

複雑な胸中になって黙り込んでいると、‟渡り”はふいっと視線を逸らして輝夜と柚葉を交互に見て――唇を震わせた。


『……える…』


「え…?」


それは実際の声ではなく、精神干渉。

この‟渡り”はほとんど話すことはなく、精神に直接語りかけてくる力を持っていた。

だがなんと話したのか分からないほどに消え入るようなもので、輝夜は一歩前に出て‟渡り”に近付いた。


「今なんと言いました?」


『………』


どう話しかけようにも答えなかったが、輝夜を見つめた後――目を輝かせて柚葉に手を伸ばした。


「え…あ、あの…」


「お嬢さん、手を握ってやって下さい」


‟渡り”は恐ろしい。

女であれどその思いは変わらなかったが、朔も輝夜も小さく頷いて促してきたため、恐る恐る近寄って膝を折って細すぎる手を握った。


『……がとう…』


「え…?」


『あり…が…とう……』


意味もなく感謝を述べられて戸惑ったが、それは朔や輝夜も同じだった。


「戻ろうか」


皆が背を向けて階段を上がって行く中、最後尾に居た柚葉が肩越しに振り返ると、‟渡り”が小さく手を振ってきたため振り返した。


「なんだったんでしょうか…」


「分かりませんが、あなたに何か感じ入るものがあったのかもしれませんね」


――その意味はもう少し先に知ることになるのだが、今は何も分からないまま、その場を後にした。
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