美味しいパンの焼き方
しかし、今日は違った。
お会計が終わっても彼はその場を動かず、レジのカウンター越しに私をじっと見ていたのだ。お昼の混雑のピークは過ぎている。店内には私と彼の二人だけ。
BGMで流している、ご主人お気に入りの『森のくまさん』が軽やかに耳に聞こえた。
「……何か?」
もの言いたげな彼に、私の方から切り込んだ。
「いえ……あなたもパンを焼くんですよね?」
「はい……? まだ、修行中ですけど……」
「では、今日はそのあなたの焼いたパンも頂きます」
その言葉に、驚きと恥ずかしさで私は思わず俯いてしまった。パンを焼いているのは嘘ではない。
だけど……
「私はのパンはまだ、お店に出ていないんです」
「どうしてですか?」
「…………」
パン屋のご主人は厳格だった。最終関門のクロワッサンを焼けるようになるまでは、私のパンは店頭へは並べてくれないのだ。
その理由を恥ずかしくなりながら彼に言うと、暫く考えた後、ぎょっとするような事を言い出した。
「では、あなたのパンが食べられるまで、私はこの店に通う事にします」
「ええ?!」
「あなたの焼いたものが食べてみたいんです」
彼はそう言うと、にっこりと笑い店を出て行った。