アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
いつの間にかあたしの周りには、早帆や加南(かな)や凪沙(なぎさ)や未波(みなみ)といったいつもの顔が当たり前のように囲んでさんざん文句を並べていて、それからその顔のまま動かない七瀬を大声で呼ぶ。
つられるように七瀬が、ようやく止まっていた足を動かして近づいてくる。
この世界に戻ってきてから、ずっと考えていた。
旧校舎のプールであたしが消えるところを七瀬に見られて、見送られて。
必ず戻ってくるよと約束して姿を消してから、こっちでは2日以上が経っていた。
ケータイにはたくさんの着信とメール。
返事はしようと思えばできた。
でもあたしはそれをしなかった。
――戻れない可能性も、あったから。
この世界には、もう二度と。
でも、こうして。
待っていてくれていたひとを目の前にして。
七瀬の泣きそうな顔を見て。
どれほど心配させていたかを、痛感して。
帰ってきて良かったのだと、初めてそう思えた。
七瀬は無言であたしの前までくると、その瞳にあたしの姿をしっかりと映して、それからゆっくりと表情を崩した。
「……おかえり」
「……ただいま」
おそらく呑みこんだ、いくつもの言葉。
それを感情のままに晒すことも問い質すこともしない七瀬は、やっぱり大人だ。あたしなんかとは違って。
――なんか、って。言っちゃダメなんだった。
七瀬にそう言われた。そういえば。
ちゃんと目の前の人と向き合わなければいけない。
あたしは、ここで――
「なに、どういう空気なの、コレ」
「えーわっかんないけど、良い空気ってことじゃない?」
「どういうこと? 真魚と連絡とれなくていっちばん心配してたの七瀬のくせに…何か知ってたってこと?」
「まぁ、いいからいいから。なにはともかく、夏休みだぜ夏休み!」
あっという間に夏の気配が、開放感で教室中を染め上げる。
あちこちで浮き足立つ生徒たち。
頭も心ももう既に、来る夏の予定でいっぱいなのだろう。
高揚感が教室の外まで溢れていて、ついさっきまでの無口だった校舎があっという間に賑やかになる。
ああ、とても平和で平凡な、あたしの日常が戻ってきた。
あたしの日常に、戻ってきたんだ。
「…そういえば、あたしが、その…学校で倒れたって、うちに連絡してくれたの…七瀬?」
「…いや、俺じゃないよ。ずっと真魚がどこに居るのか分からなくて、真魚の携帯に連絡はしてたけど…」
お父さんが言うには、同じ学校の男の子から連絡をもらったって言っていた。
名前は名乗らず、聞きそびれてしまったらしい。
てっきり七瀬かと思っていたけれど――
「じゃあ、誰が――」
ぽつりと零した呟きが、ざわりと教室の隅の喧噪に重なる。
さっきまでの賑やかな喧噪が僅かに潜まり、ちらちらと幾人かのクラスメイトの視線が教室のドアの所へと集まっていた。
誰か別のクラスの生徒でも来たのだろうか。それだけでこんなに視線を集めないか。
つられるようにあたし達も、そちらへと視線を向ける。
おそらく他の学年の生徒だろう。
この微かに色めきだつ空気は、イケメンでも訪ねてきたのか。
教室のドアの所で対応しているクラスメイトの女子の声音が心なしか高くて黄色い。
それからその女子の視線が、振り返り。こちらを向いた。まっすぐ、あたしの方へと。
ドアの向こう、廊下側でドアの影に隠していたその姿が、教室内を覗き込むことで顕わになる。
あろうことかその人物は、クラスメイトに指差されるままにあたしの姿を確認すると、ずかずかと教室内に足を踏み入れてきた。
突然のその異質な訪問者に、さっきまでとは別のざわつきが広まる。
視線を纏ってその人物はあたしの目の前まで来て、そして武骨な態度であたしを見下ろした。
見覚えのある、その顔。
どうしてすっかり忘れていたのか。実家(うち)に連絡をしたのはこの人か。
相手を見上げる自分が今、どういう表情(かお)をしているのか分からない。
ただ。
同じような境遇であるはずの、一緒に帰ってきたこの人物を、心から歓迎する気にはとてもなれなかった。
「……忘れてた。あなたのこと」
「良い度胸だな、マオ。恩人に向かってその態度とは」
「…リュウ」
どうして忘れていたのか。
シェルスフィアで、最後。
むりやりあたしを連れ帰ったのは、引き離したのは――目の前の相手、リュウだったのに。