アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
第10章 きみのもとへ

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 肌を焼く日差しが痛かった。
 眩しさに思わず顔をしかめる。
 耳をつんざく蝉の声。

 頭がやけにぼうっとする。
 自分の今の状況が全く分からない。

 ちゃぷん、と撥ねる水の音。
 視界の端にプールが見えた。

 えっと、なんだっけ。
 なんであたしはこんな所に居るんだっけ。

 視線を辺りに巡らせる。
 そこは、旧校舎のプールだった。
 夏の日差しに焼け付くアスファルトの上に、あたしは仰向けに寝転んでいる。

「…なんで…」

 なんで、こんな所に?

 この場所を訪れるのは2回目。
 昨日、七瀬に付き合って初めてここに来て…それ以来だ。
 あたし自身、用事がある場所なわけではない。
 なのにどうしてあたし、こんな所に居るんだろう。

 朦朧とする意識の片隅に、チャイムの音が聞こえた。
 新校舎のチャイムってこっちにまで聞こえるんだなと、そんなことをぼんやり思って。
 そこでようやくあたしは勢いよく体を起こした。

「授業…!」

 本能的にそう叫んで立ち上がり、それから慌てて走り出した。


 息を切らしながら廊下から教室を覗くと、教室内は授業中にもかかわらず騒がしかった。
 教壇に教師の姿も無い。代わりに黒板に走り書きで、“自習”と文字が躍っていた。
 テストも終わったばかりでの自習なんて、真面目に勉強する者は居ない。
 大概の生徒が自分の席を離れて友人と話したりゲームしたり自由なものだった。
 ほっと息を吐きそそくさと教室内に入る。
 目立たなくて済んだのは有難い。自分を気に留めるクラスメイトは誰も居なかった。

 席について改めて、自分が全くの手ぶらだったことに気付く。
 カバンも何も持っていない。
 一体どういう思考回路をしていたのだろう。自分で自分に呆れてしまった。

「――真魚(まお)!」

 呼ばれる声に振り返ると、驚いた顔の七瀬が自分の席からこちらに近づいてきていた。
 どうしてそんな驚いているのか分からない。
 確かに随分と盛大な遅刻ではあるけれども。

「七瀬、おはよう…ってもう午後か」
「今日はもう休みかと思った、携帯もぜんぜん通じないし」
「え、あ、ごめん、なんか…ちょっと調子悪くて」

 曖昧に頷きながら反射的にスカートのポケットに手を伸ばす。
 その手に携帯と、何か固いものが触れた。
 同時に視界には早帆(さほ)や加南(かな)達といったいつもの顔ぶれがこちらに近づいてくる姿が映る。

「真魚! なーんだ元気そうじゃーん、七瀬が朝からずっと落ち着かないからさ、家で倒れてるんじゃないかって。帰り寄ろうかって話してたんだよー」
「七瀬もひとりで行ったらいいのにねぇ、あたし達誘わないでさー」

 机に辿り着いた早帆達が、先に居た七瀬を茶化すように肘で小突く。
 七瀬は少し困った顔で「流石に女の子のひとり暮らしの家に、男ひとりじゃ行けないよ」と笑って応えた。

 目の前の光景に、何故だか懐かしさが込み上げる。
 いつもの光景だ。
 皆が日常で笑っている。
 なのにどうしてか違和感が拭えなかった。
 自分だけが何故だかこの場所から浮いている気がした。

「…真魚、本当に平気なの? ムリして来なくても良かったのに…」

 七瀬が心配そうにあたしの顔を覗き込んで声をかける。
 あたしは慌ててふるふると首を振った。

「大丈夫、元気だよ。なんとなく、調子が悪いような気がしたけど…夢でも見てたみたいなカンジ。なんだかイマイチ、現実味が無くて…」

 あたしの答えに七瀬は不思議そうに首を傾げた。
 自分でも分からない。
 現実味が無いのは、その“夢”なのか、“今”なのか。

 そんなあたしに早帆が一枚の紙を差し出す。
 いつの間にかみんな、他の男子メンバーまで周りの椅子をひっぱって来て、あたし達の周りを囲んでいた。
 七瀬も一番手近な椅子に腰かける。
 早帆が差し出した紙を受け取ると、進路調査票と書いてあった。
 どうやらあたしが居ない時に配られたらしい。

「期限が今週中だから、今日来ないなら届けに行こうと思ってたんだ」
「ありがとう。でもこれ、テスト前も書かなかったっけ…」
「夏休み中にさー、三者面談あるじゃん。それ用みたい。今度のは親にも見せてサインもらってくるんだって」

 加南がげんなりと言って、「まだ一年生なんだからさー」と愚痴を零す。
 それを隣りに居た凪沙が笑いながら宥めるのがいつもの光景だ。

 進路調査票の内容を見ると、確かにこの前書いたものより内容が細かかった。
 就職か進学か、進学なら進学希望先を第三希望まで。ここまではテスト前に学校でさっさと書いて提出した。
 今回のにはそれに志望動機と現在の学年成績、それから合否の可能性を自己推測して書く欄が追加されていた。
 これは明らかに保護者向けなのだろう。これらを保護者と話し合い把握してもらった上で、三者面談に臨むわけだ。わざわざ内容を確認したかどうかのサイン欄まである。

 保護者にサインをもらわなければいけないということは、お父さんに会わないといけない。
 帰らないといけない。
 ――あの家に。

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