アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 午後の授業は1限だけで終わり、結局今日は授業を受けずに1日が終わってしまった。
 掃除の時間、ぼうっと窓の外を眺める。
 窓の向こうには海が見えた。夏の快晴に青い海がよく映える。

 だけどなぜだか自分が知っている海とは、どこか違う気がした。毎日のように見ていた海なのに。
 バイトしている水族館も海に隣接しているし、学校帰りに海に寄ることもしばしばあった。
 こっちの海の方が、あたしにはずっと馴染んだもののはずなのに――

 ――…“こっち”…?

「まーた海みてんの?」

 声をかけられてはっと振り向くと、そこには呆れたように笑う早帆が居た。
 箒を持ったまま海を眺める自分に「ほらはやく掃いて」と屈んでちりとりの口を向ける。
 あたしは慌てて隅に寄せたゴミを、早帆が構えるちりとりの中に押し込んだ。

「真魚ってほんと、海好きだよね。気が付くと海ばっか見てる」
「そ、そうかな…なんか昔からの、クセで」

 なんだかいつもぼうっとしてると言われてるみたいで若干恥ずかしい。
 海を見るクセはいつものことだし。
 でもあたしもあたしなりに、学校では上手く馴染んでいるつもりだった。
 周りにも目を向けているつもりだった。
 浮かないように、はみ出さないように。

「そういうとこ、やっぱりお母さんに似てるのかな」
「…え…?」

 早帆の口からその言葉が出てきて、あたしは思わず目を丸くする。
 そんなあたしに早帆はなんでもないことのようにカラリと笑う。

「前言ってたじゃん、お母さんも海ばっかり見てたんでしょ。海に恋してるみたいだったって…だけど海が相手なら仕方ないって笑って言ってたんだよ、あんた。ヘンなやつだなーって思ったから、よく覚えてる」

 まさか自分からそんな話をしていたなんて、自分でもびっくりだった。
 そしてそれを殆ど覚えていない自分にも。
 そんなあたしの胸の内が隠しきれていなかったのか、早帆がまた苦笑いを向ける。

「その顔、覚えてないんでしょ。まぁ真魚は、なんとなく学校では誰からも、距離とってるてカンジだもんねぇ」
「え…あ、あたし、そんなカンジかな…」
「そうだよ、ある意味素直で良いけどさ」

 心底呆れたように言われて、言葉に詰まる。
 だけど早帆は楽しそうに笑って言った。

「でもあたし真魚のそういうところ、嫌いじゃないよ。一緒に居て疲れないし、意外と自分が世話焼きだって初めて知ったし。…正直あたし、前まではあんまり海に興味なかったんだよね。近すぎてさ。だけどあんた達、みんな海好きじゃん? はじめは付き合ってただけだったんだけどさ…あたしが気付かなかった良いところとか、知らない世界とか。自分じゃ見つけられなかった世界を、あんた達に教えてもらったかんじかな。自分が自分で思ってるよりも、海に潜るの好きだったんだな、って。だからあたし、スキューバダイビングのインストラクター目指すこと決めたんだ」

 早帆はいつだって自分の本能に忠実で、素直でちょっと強引で。
 あたしとはまるで正反対。きっと早帆も気付いてる。
 何かを言い出すのはいつも早帆だ。みんなで何かするのが好きで、恋話が好き。
 それから友達を、大事にする。
 あたしなんかとは違って。

「夏休み、ちゃんと実家にも帰りなよ。なんだかんだであんた家族好きでしょ。あたし達は別にいいけどさ、ちゃんと家族には言いたいこと言わなきゃダメだよ、あんた自分が思ってるより顔に出てるんだからね。そんなんじゃあんたの家族だって、寂しいに決まってんじゃん」


――――


 蜩が遠くで鳴いている。いつもよりどこか少しさみしげに。
 ひとり学校の校門から続く坂道を足取り重く下る。
 いつものように海を見つめながら。

 進路調査票のこともあるし今日は帰りに実家に寄ると話したら、早帆たちはあっさりと笑って見送ってくれた。
 バイトのシフト表も家なので、分かったらすぐに連絡してと念を押されて。
 早帆たちはまだ教室に残っていつものノリで、夏休みの予定をたてているのだろう。当たり前のようにそこには、あたしのことも人数に入れてくれている。

 あたしは、早帆たちの軽くてどこか強引なノリがいつもどこか苦手だった。
 自分のことだけしか考えていないような、有無を言わせないような、強引な空気。
 いつも適当にその場その場をやり過ごしてきた。煩わしくさえ感じていた。

 だけど違った。
 自分本位で身勝手なのはあたしの方だ。

 いつも逃げ道を探していた。
 ひとりになりたかった。
 だけど学校でひとりでいる勇気は、あたしにはなかった。
 だからあたしは、都合良く一緒に居てくれる早帆たちを、利用していたんだ。
 自分の為だけに。


「――――真魚!」

 後方から自分の名前を呼ばれ、足を止めて振り返る。
 少し息を切らせて汗を滲ませた七瀬が、長い坂を駆け下りてきて隣りに並ぶ。

「良かった、追いついて。途中まで、一緒に帰ろ」

 七瀬の笑顔はいつもと変わらず、優しくて眩しいものだった。
 だけどそれが余計に後ろめたい。
 胸の奥に甦る焦燥。

 あたしのこと、好きだって言ってくれたひとだ。
 あたしはまだちゃんと、返事できていない。

 だけどそれがもう、ひとつの答えだって気付いていた。

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