恋におちる音が聞こえたら

三話「娘は目薬に弱い」






三話「娘は母に弱い」





 一昨日、学校から自宅があるマンションへ帰ると玄関の扉が開いているのに気付いた。部屋の明かりはついておらず人の気配もしない。その不気味な雰囲気にあたしは眉を顰めてその場に立ち尽くした。



「…………えっ、……ええ?」



 過ぎったのは“空き巣”の三文字だった。混乱と焦りがふくらむ気持ちを落ち着かせて、とにかく警察に通報しようと思い鞄からスマホを取り出す。……そこでふと手を止めた。

 ただの勘違いかもしれない……。もしかしたら今朝家を出るときに締め忘れたとか……お母さんが早めに仕事終わらせて帰ってきて、うっかりドアを開けたまま寝てるとか……

 そうであることを祈りながら、あたしはそっとドアノブに手をかけた。

 ……ぎいいいいいいい。……あれ、この扉開けるときいつもこんな不気味な音したっけ。こわい、こわすぎるよ。今度管理人さんに見てもらおう。

 扉を半分ほど開いたところで、ごくりと息を呑みながら中を覗き込んだ。薄暗い廊下を夕日の真っ赤な光が照らしだし、すぐ目の前の床に見覚えのある人がうつぶせになって倒れているのが見えた。あたしが帰ってきたことに気付かないのか、しんとしたまま動かない。……ぇ、なに……こんなところで天日干しの練習? そんなにスルメに転職したかったの?!



「お……おか……さん……?」



「……ぁ、、? ぁぁ、……おかえり玲那……」



「うわあ?! 喋った!!」



「喋るわ人間だもの!」



 ……それからのっそりと起き上がるお母さんの姿にほっと安堵の息を吐いたものの、その顔は真っ青で声も少しかすれていた。疲れているのかふらふらと壁に手をつきながら立ち上がる。その様子を心配そうに見つめていると、お母さんは突然口元をおさえながらごほごほと咳き込み始めた。そのあまりの苦しそうな表情にあわてて靴を脱いでお母さんのそばに駆け寄る。

 身体を支えようと腰に手を回した途端、お母さんはその場に崩れるように座り込んでしまった。



「ちょっ、大丈夫? もしかして熱あるんじゃ……」



「平気よ……少し休めばよくなるか……ッ」



 ごほ!! ごほごほっ……!! ……ふたたび重い咳をしたあとお母さんは息を切らしながらぱたりと床に倒れこむ。さすがのあたしも焦って鞄からスマホを掴んで取り出し電話のマークをタップした。



「待って、今救急車呼ぶから……!」



 三桁の数字を打ち込み発信をタップしようとしたところで、お母さんがあたしの腕を掴んだ。まさかこんな状態になっておきながら自力で治すとか言わないよね?!

 すかさず“駄目、病院行くの!”と叫ぶと、お母さんは真っ青な顔を真剣に変えながらこう続けた。



「救急車は119よ……」



「…………わ、……わかってるよ?」



 へらりと誤魔化すように笑ったあと、そっとダイヤルを打ち直して発信をタップした。




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