メトロの中は、近過ぎです!
過去
醜い女にはならないようにしよう。
私は彼の仕事のパートナー。

何度も鏡の前でそう言い聞かせて笑顔の練習をした。
気を抜くと昨夜の彼が思い出されて、胸が痛くなるから

大丈夫
私は仕事のパートナー

スーツケースを持ってロビーに降りていくと、ソファーでくつろいで新聞を読んでいる彼の姿があった。

既に作業着姿の彼に一瞬で胸が締め付けられてしまった。

やっぱりダメかもしれない…

足が動かない。
さっき散々練習したのは何のため?
パニックになりそうな自分に喝を入れ、目を閉じて深く息を吐いた。

大丈夫
私は最高の仕事のパートナーなんだから

「おはようございます」

ニッコリ笑って明るく言う。

彼は私をちらっと見た後、新聞を畳んで

「遅い」

不機嫌そうに言った。

「はい」と渡された紙袋の中には、昨日彼の部屋に置きっぱなしにしてた私のパソコンと資料。

ダメだ。
ここで思いだしたら、前に進めなくなる。

「ありがとう…」

分かっているのに、声が小さくなると、

「ございます、つけろよ」

彼が機嫌良さそうに言う。

「は?なんで?」

私のスーツケースを持って歩き出してるその背中に向けて聞くと

「俺はおまえの上司だぞ」

私の方は振り向かないで彼が言った。

今まで通り。
私たちは今まで通りやっていける。

「ふふ…泣き虫はると君のくせに」
「泣き虫真帆ちゃんに言われたくねーよ」

明るく話せて良かった。

お互い昨夜のことには何も触れないで、最後の桜酒造さんへの道を急いだ。
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