きれいな水と不純なわれら
飼い主の機嫌を損ねない程度に、わたしは「ありがとうございます」と礼を述べて頭を下げる。

後は彼が珈琲を飲み干して、「じゃあ、またね」と言って席を立てばそれで終わる。それだけのことだ。


しかし、今日は何だか様子が違う。


いつまで経っても木嶋さんが席を立つ気配がない。


所在なく生活費の入った封筒を眺めていたわたしは、彼の手元に視線を移す。カップに入った珈琲はまだ半分以上残っている。


更に視線を移していったわたしは、思わずぎくりとした。


木嶋さんはわたしを見ていた。いつも気まずそうに眼を伏せ、まともにわたしと視線を合わせたこともない彼が、じっとわたしの目を見ていた。

「……なんですか」


わたしが問いかけても、すぐには答えない。相変わらず困ったような顔をしてはいるけれど、心なしか瞳が熱っぽい。


この目は、なんだろう。


こんなのは、知らない。


わたしは彼から視線を逸らせずにいた。小さなテーブルを挟んで、わたしと木嶋さんは見つめ合う。


部屋の空気が滞り、少しずつ凍ってゆく。


「……いや、何でもないよ」


彼はようやく目を伏せる。しばらく迷ったようにカップをいじっていたが、やがて珈琲を飲み干して立ち上がった。


わたしはほっとして、同時に自分が少なからず緊張していたことに気づいた。


わたしは彼に続いて立ち上がり、いつものように玄関まで彼を見送る。木嶋さんは靴を履き、丁寧にスリッパをそろえて顔を上げる。


「じゃあ……また、ね」


木嶋さんはぎこちなく微笑んだ。その瞳を覗いてみるけれど、だからといって何がわかるわけでもなかった。わたしは軽く会釈をし、彼は背を向けてドアノブに手をかける。


すると、ふいに彼の手が止まった。


にわかに緊張が走る。


彼がこちらを振り返る。


熱い瞳。目の前にまで迫る。息が詰まる。



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