鬼の生き様

雪解けの恋



 万延元年(1860年)三月二十九日。

試衛館は華やかな祝盃の雰囲気に包まれていた。


「黒船から始まり、先日の井伊大老の一件。
世の中は異人が来てから嫌な事ばかりだったが、ようやく、めでたい出来事が起こった!」

 佐藤彦五郎は黒羽二重の五つ紋の染め抜かれた羽織を着て、仙台平の袴という正装で昼間から酒を煽っていた。
歳三の実姉であり、彦五郎の妻のトクはそれを制しているが、酒好きの彦五郎にはそんな話は通用しない。

「しかし、井伊大老が亡くなられてまだひと月も経っていないというのに、近所から何か言われなければ良いのだが」

 小島鹿之助は心配そうに言った。
改元されたとしても、桜田門外の一件からまだ二十六日しか経っていない。

 佐藤彦五郎と小島鹿之助、そして勇は義兄弟の契りを結んでいる。
歳三は、義兄の彦五郎の酔いぶりを見て、頭が痛くなりこめかみをおさえた。

 何故、そこまで華やかな雰囲気につつまれているかというと、この日は勇の祝言である。

 今の今まで剣一筋で生きてきた勇がどのような女性と夫婦を結ぶのが興味があるが、まだ妻となる女性を歳三は見ていない。
勇も頑なに見合い相手の話をする事はなかった。

「彦義兄は会ったことあるのか?
えっと…」

「あぁ、ツネさんか。
なんでもよ御三卿清水家の家臣の娘さんらしいし、そりゃあ気品のあるいいとこのお嬢さんだべ」


 御三卿といえば清水徳川家のことである。
その家臣の松井八十五郎の長女、松井ツネが勇の嫁となる。

「武家の娘を嫁にとるなんて、勝っちゃんも大出世だな」

「歳三、お前も負けてられんなぁ」


 鹿之助はそう言い歳三の背中を叩いた。
何か行動に移さねばならぬと分かっているが、何をすれば良いかが分からずにただただ時が流れていく歳三には、悔しさともどかしさが胸の中を渦巻いているのだ。

「嫁御寮様、お着きになりました」

 源三郎の声がかすかに聞こえた。
歳三はツネを一目見に行こうと席を離れた。
惣次郎と永倉も興味深げに歳三の後を追う。


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