今宵、エリート将校とかりそめの契りを
「総士様」


木の扉の陰から声がして、琴は反射的にそちらに目を向けた。
そこに佇んでいた忠臣が、横に一歩出るようにして、総士の前に姿を現す。


「後は頼んでいいか? 忠臣」

「はい」


短いやり取りを済ませて、忠臣は二人と入れ替わりで蔵の中に入っていった。
琴は思わずその背を目で追い、振り返った。
同時に、肩を抱く総士の腕の力が緩むのを感じる。


「琴。俺たちは先に帰るぞ」


そう言って、総士は店の脇道に足を踏み出す。
琴は慌てて彼の方に向き直り、「総士さん!」と呼びかけた。
総士はピタリと足を止め、上体を捩るように琴を見つめる。


「あの……ごめんなさい、総士さ……」


言われた通り、勝手な真似をして心配をかけてしまった。
総士に無理をさせてしまったことが申し訳なくて、琴はおずおずと口を開いた。
しかし。


「っ……」


琴はすぐに声を喉に詰まらせた。
呟いた途端、説明のしようのない悲しみが、琴の胸に広がったせいだ。


兄の親友だと思っていた、自分も親しくしていた正一に酷い嘘をつかれていた。
ホッとした今だからこそ、悔しさや悲しみを強く実感する。
嗚咽が漏れそうになり、琴は慌てて口を手で覆った。


「っ、ふっ……」


必死に声を殺そうとして、琴は肩を震わせてしまう。
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