執着系上司の初恋
正体
冴木課長の夜


金曜の夜、恵比寿で取引先との打ち合わせを終えると、まだ19時。
腹も空いたし一杯飲みたくなって、馴染みのバーへふらりと立ち寄った。
金曜の夜は流石に人が多い。カップルの脇を抜け、曲がりくねった路地を進み、雑居ビルの細い階段を5、6段下がると場違いなほど重厚なドア。申し訳程度の看板がカウンターチェアに無造作に置いてある。
いつもながらに、やる気の感じない入り口だ。
『ギィィ』
見た目通りの重さのドアを開け、体を滑り込ませるように店内へ入る。

「よお、珍しいな。こんな時間にお前が来るなんて。」
ガラスを拭きつつ、ニヤリとつり気味の目をしならせ、声をかけるのは俺の大学時代からの悪友の拓。お互いの若さゆえの所業もよく知っている。ゆっくりと誰の目も気にせず飲みたい時はここに来る。

「今日は、近くの出先から直で来たからな。それに、使えない部下もいなくなったし、ちょっと余裕が出来たんだよ。」
言いながらカウンターに腰掛けると、ヘーゼルナッツやバニラの香り。俺のいつものやつ。
「へえ、そりゃ良かったな。最近来ても疲れた顔してたもんな。じゃあ、新しいやつきたんだろ?どんなやつよ?」

「!うっっ」
ごっほ、っごほ。
飲んでたブランデーにむせて、カウンターを汚す。
「お前、汚ねえな。スーツにもかかってるぞ。なんだよ、そんな動揺するほどやばいのかよ。」

「ち、ちげえよっ。お前が急に変なこと言うから、ちょっと、喉に詰まったんだ。」
涙目になりながら、差し出されたタオルでスーツとカウンターを拭く。
ああ、こりゃクリーニング行きだなとため息が漏れる。

「ふーん、なんだかわけありだなぁ。。え、、もしかして、、」

「何だよ、その顔」
スラックスは無事だなんて確認してたら、こちらを訝しんでいた拓が、驚愕したように目を見開いていた。

「まさかのBL!」
拓がこちらを指差しながら言う。

は?BL?

BとL。。

BOYSLOVE??!

「バカやろう。お前何言ってんだよっ!俺は女が好きなんだよっ!」
思わず、拓の指差した手をはたき落とす。

「なんだ、ストーカー女の一件から女の影が全然なかったから、ついに新境地の悟りを開いたかと思ったよ」
なんだ、面白くねーなとつまらなそうに言う。
勝手に人に新境地開かせてんじゃねえよ、一瞬BとLの生々しいの想像しちまった。
あ、いや、他人の趣向までは否定しないが、俺には無縁であってくれ。


「じゃあ、新しい部下に何をそんなに動揺するわけ?」

「別に、動揺なんてしてない。久し振りに女の部下だって事だけだ。」
なんとなく目線を合わせず、ブランデーを飲む。

「女?。。。へええ、。。そりゃあ、一大事だな。お前、今自分がどんな顔してるか分かってる?」
え?どんな顔?
「その女が気になって仕方ないんだろう?」

ぶわっと顔が熱を持ち、カッと頭に血がのぼる。
え、、なんで俺。。自分でも自分の体が制御できずに驚く。

「くくっ。こりゃあ、決まりだな。お前、初めてじゃないか?女に惚れたの」
そう言ってニヤつく拓を呆然と見つめる。
「なんだよ、自覚なしかよ。お前が惚れるぐらいのいい女、とっとと捕まえねえと誰かにとられちまうぞ。」
え、俺、加藤に惚れてる?
その言葉を理解し終える前に、拓の言う誰かが、加藤のあのくびれた腰を引き寄せて、加藤の色白の顔に男が手を這わせ、まつ毛が触れ合うような距離で見つめ合うといった俺の想像が浮かぶ。

「ヒュッ」
喉が変に張り付き、身体が芯から冷えた。

「。。重症だな。」
しょうがない奴だと拓の目が語る。

「。。。ああ、そうみたいだ。」
カウンターに頭を抱えうな垂れた俺は、掠れた声を絞り出した。

俺の初めての感情の正体に、俺は得もしれぬ甘くて苦い敗北を味わった。
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