強引ドクターの蜜恋処方箋
雄馬さんに手を握られたまま、私もテトラポットから立ち上がった。

階段の上の道路沿いに止めた車に乗り込む。

海岸沿いをしばらく走らせたところに、予約してくれていたレストランがあった。

白くておしゃれな店内の正面は一面の窓。

まるで一枚の大きな絵画のように、水平線が店内に広がっていた。

予約席は、窓側の一番真ん中だった。特等席だ。

忙しいのに、雄馬さんはいつこんな素敵な席を取ってくれたんだろう。

それだけで嬉しくて涙が出そうだった。

「素敵・・・」

椅子に腰をかけて、窓の外の景色に魅了されていた。

青空がゆっくりとオレンジ色に浸食されていく。

朱色の大きな太陽が少しずつ水平線に消えていった。

その太陽の荘厳な姿に胸が締め付けられるような気持ちになる。

太陽が沈むのは一日の終わりの合図。

一日の終わりはいつもなんだかもの悲しい気持ちになる。

太陽が完全に沈んでしまったすぐ後にお料理が次々と運ばれてきた。

伊勢エビのポタージュからはじまり、贅沢な前菜、メインディッシュは牛フィレステーキ。

あっさりとしているけれど、存在感のある複雑な味のソースがたっぷりかかっていた。

どのお料理も食べたことがないくらいおいしくて、華やかだった。

デザートを食べ終えると、食後のコーヒーが運ばれてきた。

窓の外はすっかり闇が広がっていた。

月明かりがさざ波をゆらゆらと照らしている。

「こんなおいしいお料理は初めて。忙しいのに予約まで取ってくれてありがとうございます」

夜の海から雄馬さんの方に視線を移すと、しっかりと目を見つめて言った。

「チナツが気に入ってくれたならよかった」

雄馬さんは目を細めて頷いた。

その時、彼のズボンのポケットに入れていたスマホが鳴った。

「ん?病院からだ。なんだろう」

雄馬さんはスマホを耳に当てたまま席を外した。

病院から?

お医者さんという仕事上、例え休みでも何かあれば電話が鳴る。

朝早くであろうと、夜遅くであろうと。

気の休まる時がない。

それでも、こうして時間を作ってくれた雄馬さんには感謝しかなかった。

そんな彼には何もできていない私なのに。

しばらくして、雄馬さんは眉間に皺を寄せて席に戻ってきた。

「大丈夫?」

「いや、実は今の電話は峰岸先生からだったんだけど、」

峰岸先生という名前が雄馬さんの口から出た途端胸の奥がざわついた。

「俺が担当している患者の容態が今朝から思わしくなくて、この後、明日からの治療についての緊急カンファレンスが入ったんだ。チナツを家まで送り届けたら病院に戻らなくちゃならなくなった。まる一日チナツと過ごせる予定だったのに、本当にごめん」

「・・・そうなんだ」

一気に膨らんでいた気持ちがしぼんでいく。

さっき太陽が水平線に消えていったみたいに。

どうして?

今日は一日一緒にいられるって言ってたのに。

出掛かった言葉を必死に飲み込んだ。

しょうがない・・・んだよね。

だって、雄馬さんは私の雄馬さんだけではなく、皆の先生でもあるんだもの。

患者さんを最優先にして予定を組むのは当たり前のこと。

だけど、それ以上に私の心の中には峰岸先生の影が気になってしょうがなかった。

それが一層色んな自信を失っていく不安な気持ちに拍車をかける。

「私は大丈夫だから、打合せに遅れないように帰らなくちゃ」

ざわつく胸を押さえながら雄馬さんより先に立ち上がった。

そんな私を心配そうな目で見つめる雄馬さんの後に続く。

お会計を済ませて外に出て来た雄馬さんに「ごちそうさま。今日はありがとうございました」と伝えた。

雄馬さんは何も言わずに頷くと、ポケットから車のキーを取り出した。

車のキーがキーホルダーにはめられた他の鍵達に当たって、金属が擦れる冷たい音が響かせる。

助手席に乗った。

車のエンジンがかかった。

暗い海沿いの往路で、ゆっくりと加速度を上げていく。

どうしてか、言葉が出てこない。

こちらに向かう時はあんなにはしゃいで色んな話したのに。

随分遠くまで来たと思ったのに、帰り道はあっという間だった。

ほとんど何も話してない帰り道の時間がとてももったいないように感じていた。

何か話さなくちゃと思った時、マンションの前に車が停まる。

雄馬さんはエンジンを切った。



< 77 / 114 >

この作品をシェア

pagetop