彼の甘い包囲網
「アハハ!
何、それ!
楽しすぎ!」

「いや……楓、よく婚姻届なんて書いたね?
そのことにビックリよ……」


突然休講になった二限目。

ガランとした教室で、私は昨夜の頭の痛い出来事を二人の親友に伝えていた。

昨夜は遅くまで男子三人がリビングでうるさくて、なかなか眠れなかったのだ。

ただ、さすがは社会人。

私が朝寝坊して、焦って起き出した時には陰も形もなく出勤した後だった。

昨夜は奏多と充希くんがいつ出ていったのか、泊まったのかも知らない。

奏多は隣りに一応、自宅があるけれど。


「楓が遅刻なんて珍しいから何かあったんだろうなあとは思っていたけど、衝撃ね」

「まさか婚姻届って!
さすが蜂谷さん、ぶっ飛んでるよね!」

教室に駆け込んだ私を待っていてくれたのはこの二人と数人の学生。

黒のスキニーパンツに白のビッグシャツをラフに着て赤いパンプスを履いた紗也は文句なしにカッコいい。

対する鈴ちゃんは淡い水色のマキシスカートを穿いてベージュの薄手のセーターを着ている。


休講になった旨を教えられ、私は遅刻理由を聞かれ、今に至る。

二人にも婚姻届のことは話していなかった。

現実感がなかったし、何となく話すことができなかった。

どう話せばいいのかわからないということもあったけれど。

話したくなかったのかもしれない。

秘密、というには陳腐だけれど。

交換条件のひとつみたいに婚姻届を持ち出して。

奏多への気持ちを自分が整理するために、自信をもつために、時間を貰うなんて。

奏多の時間を奪うなんて。

婚姻届の書き方としては順番を間違えているし、そんなやり方も間違えている気がする。

だけど。

奏多の本気が見えた気がして。

わかった気がして。


本当は、嬉しかった。

迷惑だ、嫌だって散々言ったのにもかかわらず。

そんな気持ちを抱いている自分がずるくて嫌だ。

なのに否定できない自分がいて。

そんな自分を知られたくなくて。

話せなくて、話したくなかった。



「……それでいいの、楓?」

「え?」

心配そうに紗也が言った。

「そんな宙ぶらりんな状態の婚約者で。
だって根本は解決してないんじゃないの?」

「根本って?」

キョトンとする鈴ちゃんに紗也が返事をする。

「結局、蜂谷さんと楓はどういう関係なのかってこと。
彼氏なのか付き合っているのか、とか。
そもそもそこから始まったんじゃないの?
何でお互いの本心を晒さないで、自信をもつ、もたないで、婚約者とかになるのよ?」

紗也の言葉に、胸が詰まった。

正しいとかそんなこと、考えつかなかった。



「……素直にお互いがお互いを見ればわかると思うんだけどなぁ」


ポソリと言った鈴ちゃんの言葉を以前にも聞いた気がした。
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