1ヶ月でNo.1風俗嬢になった私
歩くオナホール
私がいわゆるヤリマンになったのはこの頃からでした。

中学卒業から高校入学まで爆モテ期がはじまりました。高校に上がってからも1日3人に告白されるのがざらになりました。
彼氏がいない日はない。
やる男がいない日はない。
そんな毎日。
きずけば先輩にも愛され男にも愛され。私は色々手に入れました。

あれ?話してないっけ
私は体重75キロ。身長151センチのデブ。ブスなら死んでたレベルのデブですね。
今もそうですよ。変わりません。

サバサバした性格で喜怒哀楽が激しく、先輩に対する尊敬はエゴを使わないことだと思っていた私はこの性格に救われています。


高校の時についたあだ名は

「歩くオナホール」

最高ですね。

セックスマシーンと呼ばれていた時もあったし、自負しています。
高校の至る場所で股広げて
朝、昼、晩。とにかくやりました。
同じ男をカウントせずに経験人数を語るなら、高校の時だけでざっと350人です。
高校は2年生の時に中退してるので2年間で考えると今どき多い方だと思います。

高校2年生の5月
当時の彼氏(あだ名は中だし大魔王)との間に子供ができました。
生理が来なくて、微熱が続いて、もしかして、と思い検査薬を自宅のトイレで使いました。みるみるうちに陽性反応。
「堕ろす」
それしか考えていませんでした。
当時の彼氏はとても優秀で一個上だったので大学も決まっていました。
私は大好きでした。
なぜなら、SEXの相性が良かったから
でしょうね。

相手の親とも色々話し、相手の親が中絶費用を負担してくれることになりました。
とうとう迎えた中絶の日。
それまで堕ろす事に対しての嫌悪感が全くなかった私が手術中、嫌で嫌で目を覚まして、「待って!!やめて!!」
と言いながら気絶したりしました。
堕ろす直前でやっぱり嫌だ。殺したくない。そう思いました。
でもそんなのもう遅い。

中絶後しばらく彼氏とは付き合いましたが、私の気持ちの変化もありストーカー紛いの行動をされ別れて高校も辞めました。

中絶をテーマにしたSNSアカウントも爆発的に人気が出て、私が中絶した事はどんどん広まりました。


ただ、今中絶を考えている人に
私は一概に間違っている、やめたほうがいい
とは言えません。
勿論私自身わかっています。
子供の命がどれだけ尊いか。
自分が人殺しだと言うことも理解した上でお話しますね。
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