いちばん、すきなひと。
はじまりの場所
午後6時。
いつもの、駅前。

彼は、まだ来ていないようだった。
そのことがいつも通りじゃない気がして
私は少し、怖かった。

手首のブレスレット。
なんて言おう。
そのことだけが、気がかりだった。

何度目の深呼吸をした時か
彼はやってきた。

「悪い、待たせた。」
彼は、いつも通りのようだった。
私は少しだけぎこちない笑顔で返す。
「ううん、今来たところだし」
頬が引きつる気がする。

いつ、その話を切り出そうかと思っていたけど
「じゃ、行くか」
彼は私の手首には気づかずに、街の方を目指して歩き始めた。
少しホッとしながらも、残念な気持ちで
私は彼の背中を追った。

「今日はどこ行くの?」
「ん?俺のオススメの店」
「へえ」
「いいとこだぜ?」
なんせ俺が気に入ってる店だからな、といつもの調子で笑う彼に
少し、泣きそうになった。

相変わらず他愛のない話をして
彼は全くいつもどおりだと思った。
だけど
違和感を感じるのはきっと
私の手首が、軽いせいだ。

それほどまでに、私の中で大きな存在になったいたのだろうか。



「今日は、みやのっちの内定祝いだぜ〜」
そう言って連れてきてもらったお店は、これまた前回に負けないオシャレなカフェだった。
オーガニック野菜が売りらしく、サラダとパンが食べ放題らしい。
窓側の席に案内され、敷地内の小さなガーデンスペースの景色がよく見える。
「わ…すごくいい席」
「ラッキーだな」
二人で外の景色を堪能していると、すぐに料理が運ばれてきた。

「ん。美味しい」
思わず頬を緩めると、向かいで少し笑う気配がした。
「……よかった。やっと笑ったな」
「え」
「なんか元気なさそうだったし、何かあったのかと思って」

やっぱり、彼はこういう人だった。
どうしてこうも、すぐバレてしまうんだろうか。

でも、気付いてくれることの方が嬉しくて。

「うん…ごめんね。実は」
私は素直に、ブレスレットが壊れてしまったことを謝った。
彼はどんな顔をするのだろうかと不安に押しつぶされそうになったけれど
「え、マジで!?早くない!?」
すげえ、と驚いているようだった。

「早いって…?」
「だってアレ、願掛けしろって言ったじゃん。叶ったってことだろ」
「えー、どうなんだろ」
そもそも、ハッキリとした願いをかけたワケじゃない。

私が願ったのはーーーーーーー

「あー、内定決まったしな!それじゃねえの?」
唐突に彼は手をポンと叩いて聞いてくる。
「え、そうなの?」
そんなこと願った記憶はないけど、確かにそんな話もしていた。

そんな叶い方、あるんだろうか。

「きっとそうだろ、よかったなーご利益ご利益」
それじゃ乾杯しようぜ、とご機嫌な彼に流されて
「そっか!じゃ喜んでいいのかな」
内心複雑だったけど、彼が嬉しそうだからいいやと
前向きに思うことにした。

「そーそー、今夜はお祝いだろ」
「ありがとー」
すっかりいつもの調子で、私たちは目の前の料理を美味しくいただいた。

美味しいお酒も飲んで、お店を出る頃には
不安な心もどこかへ消えていた。
野々村って、ほんと不思議な人。

ちょうどレイトショーが始まるという時間で
通りかかった映画館のラインナップを二人で確認する。

「あ、これ面白そうじゃない?」
「いいねー、これ観ようぜ」
二人でごく自然に、映画鑑賞。
久しぶりの再会だというのに、なんの違和感も感じない。
この距離が、心地よかった。

作品の感想を言い合いながら、外の街を歩く。
途中で、懐かしい場所に出る。

それはーーーあの、公園だった。
私たちが、出会った場所。
もう何年前になるのだろうか。

あの時のことは今でも鮮明に覚えている。
あそこから、始まったんだ。
そんな風に思うと、今更ながらドキドキしてくる。

夜の公園がそうさせるのかもしれない。

「公園とか久しぶりだよなー」
彼はのんきに中へ入り、ブランコに足をかける。
少しだけ、当時のような気分になる。

あの時はまだ、彼がどんな人かも知らなかった。
そして、大人になった今でもこうして会えることになろうとは。

「……みやのっち、あん時さー俺のこと絶対気付いてなかったろ」
ふいにそう言われて、いつの話かと思ったけれど
「中3の春。みんなで会ったじゃん」

同じこと、考えてた。

暗くてよかった。
きっと、今
変な顔してる。

彼は私の返事なんてお構いなしで、当時のことを懐かしそうに振り返る。
「ほんと、テキトーな返事してたよな」
「そうだっけ?」
「そう」
野々村はその後、付け足した。
「でもさ、なんか楽しかったよな。あの日」
「……うん」

覚えてる?と確認されて
もちろん、と答えたのだけど。

「……あの時から、始まってたのかもしれないな」

ふいにポツリと聞こえた声が、
誰のものかわからずに
私はしばらく、動けずにいた。
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