芳一類似譚


でも一度だけ、母の悲しそうな顔を見たことがありました。

あの日わたしはひとりで庭で遊んでいて、そこに流しの琵琶弾きが通りかかったのです。
秋のやわらかな陽を背に受けて、冬囲いを待つ生け垣の外をゆっくり歩いていました。
もの悲しくやさしい歌を歌いながら。

それはあまりに幻想的な光景で、あのお伽噺にそっくりだったので、わたしは嬉しくなり、ついからかってしまいました。

「つまんない歌。もっと楽しい歌にすればいいのに」

琵琶弾きはぴたりと歩みを止め、声の主を探しました。
本当にお伽噺と同じで、目が見えていないらしいのです。
着物はちゃんと繕われ、頭は剃刀できれいに剃られています。

琵琶弾きはわたしのいる辺りに顔を落ち着けると、やさしく微笑みました。

「泣きたいときにはたくさん泣くといいんですよ」

ああ、やっぱり!
この琵琶弾きも、あのお伽噺を知っていました。

わたしは母にも教えてあげたいと思ったのですが、琵琶弾きがさっと顔を別の方向に向けたので、わたしもそちらを見ました。

庭の入り口に母が立っていました。
立って、黙ってこちらを、琵琶弾きを見ていたのです。
今にも泣き出しそうな顔でした。
けれど、それを必死に堪えている顔でした。

母ならば、泣きたいときには泣いた方がいいと、よく知っています。
涙は、悲しい出来事を遠くへ運んでくれるのですから。

それなのに、母は決して泣きませんでした。
まるで、遠くへ運びたくない想いを抱き締めているように。

わたしは、琵琶弾きは実は見えているのではないかと思いました。
それくらい確かに、母の方を向いていたのです。

けれど、去り際、目の前に飛び出しているひめりんごの枝にぶつかって、小さな傷を作っていたので、私の思い過ごしだったのでしょう。
枝をどけてあげると、琵琶弾きは深々と頭を下げました。

「お礼に、昔、私がいただいたものを、あなたに差し上げます。それから、私の分もいっしょに」

琵琶弾きは最後にそう言って、私の髪をひと撫でしました。
その手は一度頭を外れて空を切り、探すようにして私の髪にたどり着きました。
母のそれと同じように、慈しむような心地よい手でした。

ふと、瞼に隠されたその目はどんな色なのだろう、と思いましたが、わかるはずありません。


琵琶弾きの言葉の意味を母に聞いても、やはり、

「さあ?どういう意味かしらね」

と答えるばかりです。


わたしはあの琵琶弾きから、何をもらったのでしょう?

だけどきっと、何かいいものに違いない。
そう思うのです。







 了


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