不埒な先生のいびつな溺愛
再会して一年
私はベージュのスーツの襟元を正しながら、ケーキの箱を持って久遠(くどお)先生のマンションへ向かった。
わざわざ駅前のケーキ屋でモンブランを買ったのは、先生は甘いものが大好きで、特にここのモンブランには目がないから。
先生のお家は、タワーマンションの十五階にある。
作家と担当編集という関係上、私は何度もその先生宅を訪ねている。
久遠先生は神経質でありながら、人を家に招くことにはさほど抵抗感がない人だ。
一度行けば、数時間は入り浸ることができる。
それは先生が、自宅というスペースに、何のこだわりも持っていないからだろう。
ケーキと執筆の他に、先生がこだわりを持っているものを、私は知らない。
作家という職業は変わり者が多い。
そんなふうに言われてしまう原因の一端を、この久遠先生は確実に担っていた。
彼は、誰が見ても『変わり者』だった。
「お邪魔します久遠先生。頼まれていた資料を持ってきましたよ。執筆中でしたらすぐ帰りますから」
ドアを開けて先生が現れたとたん、シャンプーの匂いが漂った。
少し前にシャワーを浴びたのだろう。
先生のはだけた白いシャツは、いつもボタンが二、三個だけ留められていて、そこからインドアすぎる先生の白い肌が見えている。
先生はおそらく、この格好で生活し、そして寝ている。
現れるときはいつもこの格好だった。
殺風景な先生の部屋には、いつも先生と、小説を書くために必要なものだけが置かれている。
「美和子。帰るな」
低くハスキーな先生の声が、その殺風景な部屋に響いた。
先生は、私のことを“美和子”と呼ぶ。
秋原美和子というのが私の名前で、先生はやたらと私を美和子と呼びたがる。
普通の会話の中に、やたらと“美和子”を織り交ぜるのだ。
私はその度に、ドキドキして声が上ずった。
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