淡雪
「静っ……。余計な事を言うんじゃないよ。あんたまで私の邪魔をするの?」

 唸るように言い、ず、と奈緒は足を踏み出した。
 静はがたがたと震え、固まっている。

「奈緒、お前、何でここに」

 静の前に出、黒坂は奈緒に問うた。
 高保家が留守だったのは、奈緒を引き取りに行っていたからなのだろうか。
 それにしては、周りに誰もいない。

「黒坂様、何故静を庇うのです?」

 黒坂の問いには答えず、奈緒は異様に光る眼を静に向けた。

「みんなみんな邪魔しやがって……。私の邪魔をする奴なんか、死ねばいい!」

 叫んだ奈緒が振り上げた右手に、懐剣が光った。
 悲鳴を上げて静が逃げようとするが、固まっていたので足がもつれ、その場に倒れる。

「やめろ! 一体どうしたんだ、しっかりしろ!」

 静に襲い掛かる直前で、黒坂は奈緒の腕を掴んだ。
 だが、奈緒は、キッと黒坂を睨みつける。

「何故静を庇うのです? 静があなた様を誘ったんでしょう? そんな女狐、いらないじゃないですか!」

「何を言ってる! お前、おかしいぞ」

 暴れる奈緒は、驚くほどの力だ。
 これは本当に奈緒だろうか、と疑いたくなる。

「伊田も小槌屋も小賢しい真似しやがって! そんなに私が黒坂様と添うのが不満か! 父上も母上もあっさり伊田の言いなりになりやがって!」

 口汚く罵りながら、奈緒が身体を捩る。
 懐剣を取り上げようとした黒坂は、その刀身が汚れているのに気付いた。

 音羽の血だろうか。
 だが会所連中がこんな危うい奴に武器を返すだろうか。
 音羽の血でないなら、ここに来るまでに誰かを害したということになる。

「奈緒、お前、会所からどうやって出たんだ? ここまでどうやって来たんだ」

 不吉な予感がする。
 まさか再び招き屋に躍り込んで、音羽に襲い掛かったわけではあるまいか。

「この懐剣の血は何だ?」

 音羽をさらに害したのであれば許せない。
 奈緒の腕を掴む手に力が入る。

 そのとき。

「お父上の血ですよ」

 不意に声がした。
 見ると、良太郎がゆっくりと歩いてきている。

「花街まで迎えに行った左衛門殿を斬りつけて、逃走したのです。奈緒殿、ご自分のしたことがわかってますか?」

 穏やかに言いながら近付いた良太郎の手が、腰の刀の柄にかかった。
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