LINK  ー愛も罪も  番外編ー



 車に乗ってから10分以上も沈黙が続いている。送ると言っておきながら、帽子は行き先も訊いて来ない。

 一体、何処へ行くつもりなんだろう…。

 辺りはすっかり暗くなり、会社帰りの渋滞に巻き込まれ、この車ものろのろ運転で進んでいた。

 この状況にも少し慣れ、陽弥の脚の震えも今は治まっていた。陽弥は右腕を組んで、左手の親指の爪を噛む。助手席の窓から、街の灯りを見ながら、ここ最近の妙な出来事を思い返していた。



 祐希からの電話。お互い別の大学に入ってから次第と会わなくなって、久々の電話だった。

『よぉ、久しぶり元気? 石垣が紙屋町でキヨを見かけたって言ってたから、懐かしいなぁ、近々飲みに行こうかって話しになって』

『石垣?』

『そう。本通りで見かけて声をかけたけど、気づかないで行った、て』

『本通り? それって何時?』

『えぇっと…いつだっけ? 先週って言ってたけど、気づかなかった?』

『知らない』

 ここ最近、本通りには行ってない。あの電話の何日か前に知らない所からDMが届いてた。関係が無いと思って直ぐに消したけど、あれも確か本通りの住所だった気がする。それが二週間以上前の事。その事がなんとなく気になって、本通りへ行ってみようと思った。

 そして先週、本通りをぶらついてる時に、知らない人物から肩を掴まれた。オレより背が高い、目尻が少し上がった、話し方が少し舌足らずのヤツだった。物凄く驚いた顔をして、

『a2! a2じゃないかっ! なんで…無事だったのか…? 一体…。今、何処にいるんだ? どうやって…』 

『あの…人違いですよ』

 なんだコイツ、いきなり…。

 オレは一歩体を退いてから、そいつを避けて通った。それでも舌足らずはしつこくて、

『だって…、確かにヘアスタイルは違うけど…でもa2だろ? 判るよ、別人の振りをしたいのかもしれないけど…。でも良かった、こうして会えて。無事だったんだ。あれから…』

『あの! 悪いけど、本当に人違いだから。相手が違うから』

 迷惑で話を制止して行ったら、 

『a2…?』

 怪訝な声を出していたな。石垣が会ったヤツ。舌足らずが間違えた人物。オレに似ている人間がいる? それが気になって、今日もまた来てみたら、こんなはめに合ってしまった。だけど頭の中にかかっていた靄が晴れた気もする。オレに似ている人間が確かにここに居た。



「何だ?」

 陽弥の視線に気づいて、帽子がやっと口を開いた。

「あんたがa2って言うの? オレはあんたに間違えられたのか?」

「………」

「確かに似てるな。自分でも思うよ。ねぇ、これって偶然?」

 いや、オレの場合は、似てるヤツがいるって判ってあそこに居たんだから、偶然じゃないか。

「あんたは? 偶然オレを助けたの?」

 …偶然にしては用意周到だよな。粘着テープにアイマスク…。偶然じゃなかったら、どういう事なんだろう?

「後ろにいる人、知り合いだろ? 大丈夫なの、あんなにして」

「知り合いじゃない」

 帽子は前を向いたまま、冷たい口調で話す。

「え? でもあの人はあんたの事、知ってるみたいだったよ」

「人違いだ」

 人違い? じゃあ、オレら二人して人違いされたっての? それは無理があるだろ。明らかにウソ臭い。

「オレ、別の人からもa2とか言って、間違えられたし。年齢は23か4くらいかな? 身長が170…2、3くらいで、髪の毛が短くて頭のてっぺんのとこが立ってて、でも前髪は目にかかるくらい長くて、目がちょっとつり目で色黒で、舌足らずなの。心当たりある?」

 陽弥は手振りを交えて説明する。

「a2ってあんたじゃないの、だから助けたんだろ? オレの事」

「………」

 自分が何者なのか話す気は無いらしい。答えを待ったが、その口が開く事は無かった。

「ところで…、これ、何処に向かってんの? 海に捨てに行くとか言わないでくれよ」

「家に送ってる」

「行き先言ってないのに?」

「……。少し黙ってろ」

 そう言って、初めて陽弥を見たと思ったら、また直ぐに正面に視線を戻す。

 何を訊いても話す気が無いって事? 帽子がどんなにヤバイ人間かは知らないけど…どうしてこんな事になったのか知りたい。

「ねぇ、帽子、取ってくんねぇ?」

「断る」

「あんたの顔が見たいんだ」

「必要ない」

 なんでそんなに秘密主義なんだ? 正体を明かしちゃいけない身分なのか? なんだそれ、全くイライラするっ!

 先程、気持ちを落ち着かせようと、煙草を取り出すと、『禁煙だ』と言われ、喫煙を禁じられてしまった。こんな状況の中で煙草を吸えない事が、陽弥を余計に苛立たせた。

 それで陽弥は構わずに、相手の被っている帽子を奪った。相手は取られるのを防ごうとして、頭に手をやったが遅かった。

「おいっ!」

 帽子が怒鳴って、陽弥を睨む。

 やっぱり似てる…。髪の色や顔が微妙に違う? オレはカラーリングしてるけど、帽子は…(って、もう帽子を被ってないから、a2って言うべきか?)a2は黒髪だし、オレより少し髪が長い。顔はどこと無く女にも見えるような…。オレも結構、女顔って言われた事あるけど。そうだなぁ…、今よりオレの中学時代の顔に近いかな。

「返せ」

 a2は陽弥に掌を差し出す。それには構わずに、陽弥はじっと相手の顔を眺めていた。

 こんなに似てるなんて…まるで、双子みたいだ。

「!」

 ……双子…?

 その時、自分の言葉に、脳裏に仏壇の位牌が思い浮かんだ。

「なぁ、あんた名前は何て言うんだ? 何処に住んでる? 家族は…兄弟はいるのか?」

 陽弥はa2の肩を掴んで顔を覗き込んだ。だが、a2は視線を合わせない。

「離せ。運転の邪魔だ」

 a2は片手で陽弥の胸元を押して、自分から離れさせ、質問から逃れようとする。

「こんなにも似ている他人なんて、おかしいと思わないのか? 大体、あんなにタイミング良く助けが入るなんて…コイツとグルか? あんた、なんでオレを助けたんだ? 理由があるだろ? …あんた何か知ってるだろ!」 

 相手の背凭れを強く掴んで、陽弥はa2に詰め寄った。興奮したせいか、その瞬間、強い眩暈が起こり、陽弥はシートに身を沈めた。

 a2はその様子を横目で見る。その一瞬僅かに、その口の端が歪んだように見えた。

 現実には有り得ないけど、ある考えが陽弥の頭の中を巡る。

 妄想好きって思われるかも…。だけど、もし現実にそんな事が起こったのなら、何故なのか理由を知りたい。 

 陽弥は冷静を努めて、静かな口調で言う。

「あんたが何も話す気が無いなら、オレの話を聞いてよ。今から奇妙な話をするけど、気にしないで最後まで聞いて」

 a2は黙ったままだ。陽弥は拳を口元に当て、欠伸を一つすると、話し始めた。

「オレ、本当は双子の兄がいるんだ。見たこと無いけど。死産だったんだ。母さんに聞いた話だけど、その遺体に気になる点があるから調査させてくれって医者に言われたらしく、母さんにもその遺体を見せる事は無かったって。『あの子を一度も抱いてやる事が出来なかった』って、悔やんでたよ。何を調べてたのか知らないけど、それから二十日位して遺骨で返って来たって。だからうちの仏壇には、父さんの位牌の横に、遺影の無い位牌が並んでる。だけど、あんたの顔を見たら妙な考えが浮かんできて…」

 陽弥はまた一つ欠伸を、今度は深く吐いた。

「こんなに顔の似た他人がいるのか…、本当に兄は死産だったのか。だって誰も兄の遺体を見てないし。本当は…」

「何が言いたい?」

 今迄、沈黙していたa2が、冷たく突き放す口調で、言葉を遮った。

 何が言いたいのか自分でも考えがまとまらない。さっきから頭の中がフワッと軽くなったような…考えたいけど、頭がついて行かないってゆうか…。ただ知りたいんだ。これは偶然なのか? オレたちは……。

 また欠伸が出る。

 すげぇ眠い。こいつの運転が上手くて、心地好いって訳じゃあるまいし…。あれ? そういえば、さっき、薬を飲まされたんだっけ? あの薬……。

「…睡眠薬?」

 陽弥がぽつりと言葉を吐いた。

「そこまで強い薬じゃない」

 今、陽弥の体に何が起こっているのか、a2は理解をしている口振りだった。

 そして陽弥の言葉がまるで合図だったかのように、車は狭い道へと左折した。少ししてトタンで出来た、高い塀を右折すると、前方に電気の点いていない、潰れたファストフード店やカラオケ店が見えてきた。その通りには、細くて頼りない電燈が、ぽつりぽつりと、道の端に置かれている。捨て犬らしき茶色い犬が、てくてくと歩いて行くだけで他に人はいない。ここ一帯に陰気な空気が漂っていた。それで人目を気にする事無く、車は道の真ん中で停車した。

 どうしてコイツはこういう場所に詳しいんだ?

 闇に溶け込む群青色の海が、陽弥の目に映った。

 海…まさか本当に海に沈める気じゃあ…。

 陽弥はa2の顔から心情を窺おうとした。だが正面に向けられた瞳からは何の表情も無く、白い肌に青い影が落ちて、a2をより冷淡に見せるだけだった。皮肉にも、その姿は彫刻のように美しかった。

「…なんで…こんな事…」

 陽弥の意識は朦朧とし始めている。思っている事が、上手く言葉に出てこないし、体に力が入らない。陽弥の体は背凭れに深く預けているままだ。

「心配しなくて良い。君の為だ。いや、私の為かな」

 …急におしゃべりになるんだな。

「話しを…」

「無駄話だ」



『…春の陽なたぼっこって、暖かくて幸せな気持ちになれるでしょ。だから三月の和かな陽の中で産まれてくる子には、そんな名前を付けようって』

『安易な発想。じゃあ、その日に雨が降ってたら、名前が違ってたわけ?』

『ううん、母さんには確信があった。あんたたちが産まれてくる日は、絶対に青くて綺麗な空をした晴れた日だって』



 朦朧としている中で、陽弥は、中学時代に母親から聞いた話を思い出していた。

「…名前……」

 その名前で呼ぶのを楽しみにしてたって…話す母さんの目が少し寂しそうだった。だから教えてやらなきゃ…。あぁ…でも、眠い、眠い…頭が回らない…。目を閉じたら寝てしまいそうだ…まだ、もう少し……。

「以前……」

「何を言いたいか知らないが、話を聞いてると…。短絡な者が考える事など、大凡察しがつく。兄がどうだとか言っているが、正確には私は男じゃない」

 あぁ…瞼が……重い…。

 睡魔と闘う陽弥の目は半開きとなり、殆ど白目を剥いている状態だ。

 a2は陽弥に近づき、耳元に小声で話す。

「もう限界だろう、目を瞑れよ。ここでお終いだ。知りたい事があれば教えてやっても良いが、どうせ目を醒ました時にはその記憶は消える。無意味だろ?」

 …母さんに教えなきゃ…びっくりして…腰抜かすかな…。泣くかな……。でも…きっと喜んで……名前…呼ぶ……

「陽……」

 陽弥はa2を触ろうと、力無い手を動かすが、その手はa2には触れず動きを止めた。a2はその手を見つめてから、

「…そう、」

 と口を開く。徐々に動けなくなる陽弥の姿を見て、少し話す気になったらしい。

「君と私が出会ったのは偶然だ。後ろに居る者が突飛な行動に出たから、助けない訳にはいかなくなった。君と私は全く関係ないからな。君を巻き込む訳にはいかない。だから仕方なくだ。だが、君と私が似ているのは偶然じゃない…」

 a2が何か言ってる。陽弥にはもう、a2の言葉が呪文のように、耳に届くだけだった。

「君の言う通り、私は全てを知っている。君が知りたがっているそれを。さぁ、眠るんだ。気持ち良く眠って、起きた時にはきれいに忘れている。私は……」

 陽弥の思いも虚しく、そこまで聞くと、a2の声は聞こえなくなった。



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