ユリの花はあまり好きじゃない
 記憶を辿れば、溜息をつきたくなるような思い出の破片が頭のそこかしこに散乱している。シンちゃんと過ごした5年間の軌跡は10年前、8畳の狭い部屋に全て置いて来た。それなのに思い出はいとも簡単に蘇る。しかも鮮明に。

 別れの危機は何度かあったのに、ホンモノの最後の日は別れの言葉すら告げずに私は逃げ出した。

 シンちゃんにとっては些細なケンカの延長線上に過ぎなかったんだと思う。

 最後に聞いた電話越しのシンちゃんの声が未だに忘れられない。

―――俺がいい子になれば百合は戻って来てくれるんだよね?

 いい子になれば、なんて3歳児みたいな物言いをするのが最後までシンちゃんらしかった。

「うん」とも「いいえ」とも言えず、溢れる涙を必死に堪えていたから鼻の奥が凄く痛かった。

 でも泣いていると悟られたくなくて、シンちゃんの質問には答えず「おやすみ」と電話を切った。それが最後だった。

 ユリは好きじゃない。
 こんなふうにシンちゃんを思い出してしまうから。

 それなのに私の名前が百合だから、ユリを贈られることは少なくはなくて、つい先日迎えた30代最後の誕生日は夫から39本のユリをプレゼントされた。

「花を買うくらいなら電気代をよこせ」

 冗談めかして呟いた私に「電気代?」と何も知らない夫が困惑気味に笑った。

 だから私も笑顔で返した。
 ユリの高貴で柔らかな香りが胸にチクチクと痛かったけれど、思い出から目を逸らし「ありがとう」と笑った。

 ユリを贈られるとき、私はいつも素直にありがとうが言えない。
< 2 / 43 >

この作品をシェア

pagetop