花の名前

4

 外に出ると、チラチラと白いものが舞っていた。
 雪だ―――道理で寒いと思った訳だ。

「寒くない?」
 肩を貸したまま聞くと、大丈夫だと言うカズの声が、触れた体に直接響くように聞こえた。むしろ気持ちいいよ―――と笑った声も。

「雲のあなたは春にやあるらむ…」
「何それ?」
「和歌だよ…雲のあなた(向こう)は春だから、こんな風に空から花びらが降ってくるのだろうか、っていう。」
「ふーん…」
 昔の人は情緒があるなぁ…と感心していると、カズがまた笑った。
「不思議だよね…とっくの昔に死んでるのに、想いだけがいつまでも残り続けるなんて。」

 あの星も―――そう言って、指差した先にあったのは、星座に詳しくなくても、大体の人が知っている冬の星座。

「あの星…ベテルギウスも、もしかしたら、今、この瞬間にはもう、消滅して無くなっているかも知れないんだよ。」
 それなのに、まだ存在しているかのように見えているだけかも知れない、と言って、また低く笑う。

 もの凄く年寄りの星なのだと、光が届くまで六百年以上かかるから、わからないだけなんだと。

 なるほど、と、またしても感心しながら言った。
「じゃあ、ラッキーなんだね。」
「え?」
「だって、ホントだったら見えないハズのものを、見る事が出来てるって事でしょ?」
 そう言って笑ってみせた。そういうの、何だかちょっと嬉しい気がするから。

「不思議だよね、千年以上前の人と、同じものを分かち合えるなんて、スゴくない?」
 和歌とかよくわかんないけど、昔の人も子供の時は口開けて雪食べたりとかもしたのかな?と言ったら、カズが立ち止まった。
 顔を上げると、カズが妙なものを見るような顔で、まじまじと見つめていた。

「あれ?何か解釈おかしかった?」
「いや…」
 トーコさんらしいね、と言ったカズは、クスッと笑って、何を思ったのか、顔を近付けてくる。

「キスしていい?」

 はい?! 咄嗟に手で押さえつけた。いきなり何バカ言ってんの?!
「伝染ったらどうしてくれんの?」
「…今さらじゃない?」
 言われて顔に血が上る。こんなに密着してる状態で言う?!
 思わず肩を押し退けた。
「こっちは働いてんのよ。仕事休んで寝てられないの。」
 ほら、さっさと乗る!と促して、助手席に押し込んだのが、大きな間違いだった。

 助手席に座ったカズが、シートベルトを着けようと引っ張ったら、何かに引っ掛かったらしく、ベルトが伸びてこない。
 ボロだからなぁ…と、何の気なしに運転席側から身を乗り出し、ヘッドレストを掴んでカズに覆い被さるようにしながら、ベルトに手を掛けると、不意に胴を摑まれて、カズの膝の上に乗せられた。
「ちょっ…」
「いつも、こんな事してんの?」
「は?」
 何の事?と顔を向けた瞬間、唇を塞がれる。
「んんん~~?!!!」
 抗議の呻き声を上げて引き剥がす。あっさり放してはくれたけど、にやりと笑った顔が憎らしい。
 何かいきなり、何で復活してんの?!

「好きだよ、トーコさん。」

「はい?!」
 突然の台詞に、素っ頓狂な声で応える。
 いきなり何言ってんの?て言うか、何それ?!
「頭湧いてる?」
「かもね、熱あるし。」

 ああ、そうですか!

 睨み付けて膝から運転席に戻る。
「帰るよ!」
 と言いながら、シフトレバーをバックに入れた、その手をカズの手が上から被せるように掴む。
「でも、本気だから。」
 と言われて、思わず手を引き抜いた。ちょっと、ホントに勘弁して―――!!

 正直なところ、生まれてこの方、“告白”とか言うものはしたことも無ければ、されたことも無い。て言うか、これが告白なのかどうかもわからない。免疫なさ過ぎて。
 大体、カズは今、熱に浮かされてる。物理的な意味でも。
 どうかしてるとしか思えない。

「と、とりあえず帰るよっっ!!」
 叫ぶように言って、クラッチを外しながらアクセルを踏み込む。―――あれ?動かないっっ?!
 1回ニュートラルに戻し、ギアを入れ直して踏むけど、何かに乗り上げたように、動かない。おかしい、何でっっ?! 何か挟まってるっっ?!

 パニックになりかけた頭に、カズの冷静な声が響いた。

「サイド引いたまんまだよ。」

 あ―――!
 と、横を向いた顔に、カズがニッコリと微笑む。
「運転、代わろうか?」

 結構です!!!
 心の中で叫んで、サイドブレーキを下ろした。
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