花の名前
水如数書
「以上で上映を終了致します―――」


 アナウンスと共に場内がゆっくりと明るくなっていく。
 とは言っても、場内を煌々と照らす照明なんてものは、このプラネタリウムのドーム内には無い。
 今日は平日の昼間だけあって、入場者もまばらだ。
 プログラムの最初に行われる解説の為のボックスから出ると、忘れ物が無いか、場内の席を一通り見て回る―――それがこの15年間ずっと続けられたルーティンだ。


 出入り口付近まで来た所で、座席からチノパンをはいた長い足が出ているのに気が付いた。

 上映中は当然の事ながら場内が真っ暗になるから、たまに寝ている入場者もいる。
 今回もそれだろうと近付いて、覗き込んだ所で動きが止まった。

 そこに座っていた人物―――まだ若い、恐らく二十歳そこそこの男性は、お腹の上で手を組んだまま、ジッと明るくなったドーム状のスクリーンを睨むように見つめていたのだ。

「―――あの…、」
 躊躇いがちに声をかけると、彼はゆっくりとこちらに視線を向ける。ずいぶんと綺麗な―――としか表現出来ない整った顔立ちをしていた、その男性に、上映が終了したことを改めて告げた。
「ああ―――」
 とだけ言って、男性はゆるりと立ち上がる。
 ほっそりとした後ろ姿を見送って、もう一回りしてから上映室を出た。

「今野さん、今野さん、今、見ました?!」
「え、何?」
「さっき最後に出た人っ、すっごい格好良くなかったですか~っっ?!」
 今年入った彼女は、まだ学生気分が抜けてないのが往々にして出る。自分もかつてはこうだったかな…と苦笑しながら、頷いた。
「そうだね、ちょっと目を引くね。」
「ちょっとじゃ無いですよ~~っっ、えー、ちょっと追っかけて連絡先(ケータイ)聞いてこようかな~っっ」
「えっ、いや、それはちょっと…」
 職務を逸脱してないかな?と注意すると、不満げに頰を膨らませる。うん、社会人の自覚持とうか?
「今野さんはこれまで、そういう気持ちになったこと無いんですか~?」
「そういう気持ちって…お客さんを追っかけて行きたくなる気持ちって事?」
「そうです!」
「…無いよ…」
 脱力しながら、事務室へのドアを開ける。
 そこでふと、さっきの顔を思い出した。

 追っかけて行きたくなった事は、もちろん無い。
 でも、あんな顔を、どこかで見た事があるような―――?




「金環食、ですか?」
「そう、日本で観測できるのは20世紀最後なんだよ~。」
 ここ、市立の科学館の館長はそう言いながら、刷り上がったばかりのパンフレットを見せてくれた。大卒2年目―――プラネタリウムの最初に行われる当日夜の星空解説も、だいぶ板に付いてきたところだ。

 夏休みから新しく始まるプラネタリウムの上映番組は、日食をテーマにしたものだった。
 そのものズバリ、「日食ってなんだろう?」―――芸が無いにも程があるけど、国内で金環日食が見れるからこそ制作されたものである事は確かだった。因みに前回が29年前で、次が25年後だと言うから、日本中が盛り上がるのも無理は無い。
 金環食が見られるのは沖縄だから、ちょっと行くには遠いけど、部分日食でもちょっとわくわくはするものだ。昔、黒い下敷きで見ていた事を思い出しながら、パンフレットを眺めた。



 ―――その番組は、とあるアジア地域の日食伝説から始まっていた。

 昔々、神々と悪魔達が大きな戦いをした。
 その時、敗れた悪魔軍の一人(?)が、神に変装して敵軍の中に忍び込み、神々が飲んでいた“不死の水”を手に入れた。
 今まさに飲み込まんとした時、それに気付いた太陽と月が、神々に注進した。
 ―――あの悪魔が、不死の水を飲もうとしています!!
 直ぐさま駆けつけた神によって、その悪魔は首を刎ねられるが、すでに飲み込んでいたその頭だけは不死となって空に上り、告げ口をした太陽と月を恨んで追いかけるようになった。
 悪魔の首は時々追いついて、太陽や月に食らいつき、飲み込むのだが、首から下が無いので、直ぐに外に出てしまう―――それが日食や月食と呼ばれるようになったという。


「アホだ~」
 という小さな呟きが聞こえる。
 確かに子供からすれば笑い話かも知れないなぁ…思わず苦笑した。
 夏休みに入ると入場者数が格段に増える。特に小学生までは無料なので、尚更だ。
 同時に忘れ物が増える時期であり、終了後にゴミが落ちていないか確認する必要が出てくる時期でもあった。
 ―――ドーム内飲食禁止であるにもかかわらず、だ。

 その日1回目の上映終了後、ゆっくりと座席を見て回っていると、出入り口付近に来た所で、短ズボンをはいた足を見つけた。寝ちゃったのかな?と思い、近付いて、そこに居た見知った顔に息を飲んだ。



 ほんの数日前の事だった。

 その日最後の上映開始直前に、一人の青年が飛び込んできたのは。
「ま、まだっ、入れますかっっ?!」
 大学生一人と小学生一人っっと叫ばれ、呆気に取られた。
 たかだか小さなプラネタリウムなのに、そんな必死の形相で…と。
「大丈夫ですよ。…大人の方は500円、小学生は無料になります。」
 そう言うと、今度は彼が呆気に取られた。
「えっ、無料(タダ)っ?!」
 その頃になって、ようやく着いたエレベーターから、一人の男の子が降りてきて、大学生らしき青年の隣に立った。
「すげーな、カズ、お前タダだってよ!」
「うん、知ってる。」
 こちらは小学3、4年生だろうか、ずいぶんクールな物言いをする子だ。
「何だよ~、知ってるんなら早く教えろよ~。」
 ぶうぶうと唇を尖らす青年と、どっちが大人かわからないな…と思わず笑ってしまう。すると青年が、チケットカウンターに肘を突いて身を乗り出してきた。

「聞いて下さいよ、俺、この街来て3年なるのに、プラネタリウムあるの、昨日初めて知ったんですよ!!」

 一緒にテレビを見ている時に金環食の話題になり、そう言えば学校でもらったプラネタリウムのチラシが日食だった―――と言われたそうなのだ。
「あー、まあ、大人の方はそんなものですよ。お子さんは学校の校外学習で来たりするので知ってるんでしょう。」
「えー、そうなんですか?いいなぁ~。」
「ほら、トールさん、行こう、お姉さん困ってるよ。」
 あ、すんません―――と言って、連れ立って上映室に向かう。何だかおかしな二人組だ。どういう関係なんだろう?と不思議に思いながらもカウンターを閉めた。
 そして、その上映終了後の事だった。

「よっしゃ、行くぞ、カズっっ!!」
「ええっ、本気?」
「ったりめーだろ?! 流星群だぜ?見ないテは無いだろうがよ!」
「…でも、トールさん、毎日バイト入れてるじゃん?」
「ふっふっふっ、流星群が見れるのは真夜中だから大丈夫だ!!」
「え~っっ、お母さん、許してくれるかどうか…」
「それを今から説得するんだ!大丈夫!夏休みなんだから!!」

 実に賑やかだった。周りがクスクス笑っていて、カズと呼ばれた男の子の方はちょっと恥ずかしがっている。
 今日の解説では三大流星群の1つ、ペルセウス座流星群を紹介していた。大体8月の半ば頃が極大―――流星の数が最大になる流星群で、時期的にも屋外で観察がしやすくて子供達にオススメなのだが、どうやら彼の方が食い付いたらしい。
 きっとあの大学生のお兄さんは、男の子のお母さんを説得して連れ出すんだろうなぁ―――男の子を引きずるように連れて行く背中を見送りながら、その場にいた誰もが、そう思っていたに違いなかった。



「―――あの…」

 躊躇いながら声をかけると、少年がびくっと体を震わせた。

 こちらを見つめる瞳は、さっきのような、思い詰めたようなものでは無くなっていたけど、代わりに少し怯えたようにも見えたので、安心させるようにニコッと微笑んでみせる。
 今日は1人?―――と聞こうとして、止めた。こっちが覚えていても、この子が覚えているとは限らないし、見れば”彼”が居ないのはわかる。
 少年は、視線を落とすと立ち上がり、ぺこりとお辞儀をして立ち去ろうとした、その背中に、
「あ、待って。」
 と、声を掛けたのは、座席に残されていたパンフレットを渡す為だった。
 入場の際、入り口で渡すそれは、よく考えたら彼はもう持っているから置いていこうとしたのかも知れないのに、つい反射的に手に取って、差し出した。
 少年は素直にそれを受け取り、しばらく眺めた後で、ポツリと、呟いた。

「コイツ、いつまで…」

 ハッとして目を見開くのと、彼が踵を返すのが同時だった。
 パンフレットの表紙に描かれていたのは、今、まさに太陽を飲み込まんとする、悪魔の首だった。


 子供から見れば、滑稽な話。
 でも、初めて読んだ時、何だか微妙な気持ちになったのは、年のせいだろうかと思った。

 なぜなら、この悪魔が本懐を遂げる時は永遠に来ない。
 彼にはもう、太陽を閉じ込める為の体が無いから。
 それなのに、ただ恨めしいという思いにだけ囚われ続けて、未来永劫、太陽と月を追いかけ続けるのだ。

 それはあまりにも空しい行為だ、と。

 こんな事を感じるのはきっと大人だけだろう、そう、思っていたのに。



 窓際に寄って、外を眺めると、緑色の単車が走り去るのが見えた。
 今日の投影プログラムは、「流れ星を探しに行こう」



 そういえばあの少年は、流れ星を見に行くことが出来たんだろうか―――?

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