偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎

「……ママ、社長のスピーチがはじまるよ」

夫が耳元で(ささや)く。

……わたし、「あなたの」母親じゃなく「あなたの息子の」母親なんですけど。

華絵はつい先刻(さっき)までの大貴への感謝をすっかり忘れて、少しムカついた。

「更年期じゃね?」

大翔が母親のムッとした様子を見て、絶妙のタイミングで意地悪く(わら)う。

「彼女」の日葵(ひまり)ちゃんとのピューロランドデートを阻止された腹いせだった。
日葵ちゃんはマイメロが大好きで、今日の日をすっごく楽しみにしてくれていた。

来年はお互い中学入試だ。ゆっくりと遊びに行けるのは五年生の今くらいなのだ。
これからの土日は、塾や模試で潰れることも多いだろうし。

……はあぁっ⁉︎ このクソガキっ!
どこで、そんな言葉覚えてきやがったっ⁉︎

そんなことは夢にも思わない母親は「やんごとなき血筋」ともども、息子をラララ星の彼方にブッ飛ばしそうになる。

マジでこんな子に育てた覚えはないっ!って、この会場だけではなく、全宇宙に叫びそうになる。


「……大翔」

大貴が静かに息子の名を呼んだ。

大翔は背の高い父親から見下ろされ、じーっと見つめられた。いくら最近背が伸びてきたといっても、まだまだ父親には敵わない。口元には薄く笑みが見える。

だが、その目はまったく笑っていなかった。
冷たい、つめたい目だった。

その瞬間……大翔の背筋がソゾッとした。

「たとえ息子であろうと、僕の奥さんの華絵さんを……侮辱するのは許せないな」

そう言って、父は笑みを深めた。

……背中の、ゾゾゾッ、が止まらない。

仕事が忙しくて、近頃は特に疎遠な父親からは、幼いときから声を荒げて怒られたことはない。
なのに、じーっと見つめられると、なぜか感情のままに怒鳴りまくる母親よりもずっと怖ろしいのだ。

……もしかして「エタイの知れない」ってこういうことを言うのだろうか?

大翔は漢字ドリルの問題に出てきた言葉を、ふと思い出す。血を分けた父親なのに、なんだかそんなふうに思わずにいられない。
ちなみに正解の漢字は「得体」だ。

父は、自分の思いどおりにならないことは絶対に許さないし、絶対にさせない。

特に……母に関してのことは。


「……やっだぁー、大貴ったらぁ」

まったく空気を読めぬ母親が、乙女のように頬を赤らめて、一人で盛大に照れていた。

< 90 / 606 >

この作品をシェア

pagetop