SEVENTH HEAVEN
第一章
~19世紀ロンドン~
「それじゃぁお疲れさまでした!」
「ああ。明日も頼むよ。看板娘!」
笑顔の店長に見送られ外に出るとロンドン塔の時計の針が23時を指していた。
(もうこんな時間?!ケーキの味見に夢中になっちゃってた・・・急いで帰ろう。)
行き交う馬車を横目に満月の光に照らされた路地を歩き出す
親元を離れ独り立ちし、街一番の菓子店で売り子を始めて数ヶ月…
美味しいものに目がない私にとって今の職場は、世界中でもっとも天国に近い。
(お店の経営が安定しているっていうのも重要だよね。同僚もお客様も良い人ばっかりだし…。好きなことを仕事にできて、堅実に暮らせて、言うことなしだなぁ)
平凡で穏やかな今の生活を、私はとでも気に入っていた。-この瞬間までは。
「時間がない、急がないと・・・」
(ん?)
騒々しい足音が近づき、何気なく後ろをを振り向くと…
「おっと!」
(わっ!?)
走ってきた男の人と肩がぶつかり。身体がぐらりと揺らぐ。
しなやかな腕が伸びてきて、すかさず私を抱きとめてくれた。
「これは失礼。お嬢さん、怪我ないかい?」
「は、はい。平気です」
「良かった。こんな愛らしい女性に怪我をさせたらむ、僕は一生後悔するところだった」
(え・・・っ?)
「ゆっくり話す時間がなくて残念だ。では良い夜を、レディ」
彼はウィンクをひとつ残し、跳ねるように足で走り去り、角の向こうへ消えた。
(お世辞だってわかっててもドキッとした・・・。素敵で、ちょっと変わった紳士だったな。)
髪は真っ白、瞳は薄桃色、走る姿は跳ねるようー何だか白うさぎめいている。
彼の姿が頭から離れないまま歩き出した時、つま先に何かがコツンとぶつかった。
(懐中時計・・・?あ、ぶつかった時にあの人が落としたんだ。届けなきゃ!珍しい宝石がはまっている。ピカピカに磨きあげられてるし、きっと大切なものだよね)
時を刻む落とし物を握りしめ、私は慌てて、彼が去った方向へ走り出した。
彼を追ううちにたどり着いたのは、ロンドン有数の広大な公園、ハイド・パークだ。
(あの人、足速いな。なかなか距離が縮まない・・・っだいだい、なんで真夜中にこんな場所に……?)
不思議に思いつつ必死に背中を追っていると彼は小道を外れた林の中でようやく足を止めた。
(よかっと、これでおいつける!)
「あの、落とし物ですよ!って・・・あれ?」
走り寄った私の前で、彼の姿は煙のようにかき消えた。
(そんな!確かに今、この辺りに立っていたはず・・・・・・)
足を踏み出した私の真下で、今度はなんとー地面が消えた。
(・・・え?)
世界が反転し、夜空も満月も、緑に覆われた地面も遠ざかって…
「きゃーーーーーー!?」
着付けば私は、広く長いトンネルの中を、真っ逆さまに落ちていた。
(何なのこれ、落とし穴!?どうしようどうしようどうしよう!このままじゃ穴の底にぶつかってべちゃんこに・・・ってあれ?落下速度が異様に遅い・・・私の身体が宙に浮いている・・・・・・!?何なのこのドンネルの穴の底が見えない。どこまで続いてるの・・・・・・?)
混乱の中で目を凝らした途端、唐突にドンネルが終わりー
「っわ!?」
落下し続ける私の真下に、見たこともない風景が広がっていた。
黒々とした深い森 それに抱かれるように広がる円形の街、ロンドン塔よりも高くそびえる怪奇な塔ー
(この街は一体なに?!ドンネル抜けた先が空の上って、どういうなの?)
「わっ。」
突然、身体の重みが戻り、落下速度が一気に増した。
(待って待って待って、このままじゃ地面に衝突する!誰か助けて・・・・・・!)
声もなく叫んで目をつむった、次の瞬間ー
「危ねぇ!」
(え・・・・・・っ?)
暖かな腕にしっかり受け止められ、長い長い落下はようやく終わった。
(た、助かった・・・・・・)
まぶたをごわごわと持ち上げると、目の前で、エメナルドグリーンの瞳が輝いてた。
「怪我は、ねぇみたいだな。空から振ってくるなんて・・・・・・お前、何者?とっから、ここに入り込んだ?」
「ええっと・・・私はカナリアといいます。さっきまでロンドンのハイド・パークにいたんですが・・・」
「ロンドン?ハイド・パーク・・・?どっちも聞いたことねえけど。」
(えっ?じゃあここは一体どこなの?)
夢でも見ているような心地で、周囲の豪華な薔薇園を見回す。
庭の隅には大きな穴がポッカリと開いていて、現実とはおもえない不思議な光を放っていた。
「レイ。何している。この非常時に、よりによってこんな場所で密会か?」
「っ・・・、違げーよ。シリウス。」
(あっ、他にも人がいたんだ。というか私、抱きとめられたままだった・・・!)
「ごめんなさい、ぼんやしてて!あのっ、もう降ろしてもらえる・・・」
「空かから派手に飛び降りてきといて、この程度で慌ててんの?変なヤツ」
「そ、それとこれは別でしょう。・・・っ?」
からかうような笑みで向けられ顔が熱くなるけれど、私を私を降ろす彼の手つきは優しかった。
「どうややらデートって雰囲気でもなさそうだな。カナリア、自己紹介がまだだったな。俺はレイ。こっちはシリウスだ。」
「あんた、まさか迷子か?」
「迷子というか、なんと言いますか・・・」
「空から降ってきたんだ、こいつ」
「空から?」
「はい。私も何が起きたかわからないんですけど、本当のことなんです。」
「-ひとつ聞くが、お嬢ちゃん。あんたは『赤』の人間か?『黒』の人間か?」
「『赤』?『黒』?質問の意味がよくわからないんですが・・・・・・」
「なるほど。確かにこの子は『変なヤツ』だな」
(そ、そんな…。私にとっては二人の方が変に思えるけどな。多分、軍人、だよね・・・・・・?軍服はイギリスのものじゃなさそうだけど、何者だろう)
疑問が沸きあがった時ー視界を白い何かが横切った。
(あっ、あの人もここに来ていたんだ!)
白ウサギに似た紳士は庭園の奥へと走り去り、すぐに見えなくなる。
「あの、急ぎの用事ができたので失礼します。助けてくれてありがとうございました。」
「え?おい・・・・・・!」
お辞儀をして背を向けると、私は白ウサギに似た紳士を追って走り出した。
(時計を返して、ここがどこで、どうすればかえれるか聞いてみよう。あの人もロンドンから来たんだし、何か知ってるはず!)
「行っちまった。ほんと、変なヤツ。」
「お前、あの子は空から落ち着て来たって言ったな。」
「ああ。気づいたら俺の真上できゃーきゃー叫んでた。」
「レイ、もしかしたらあのお嬢ちゃんは・・・・・・。」
「あぁ?」
シリウスが低い声で、レイに何事かを耳打ちをする一方で…・・・
庭園の片隅で輝きを放っていた穴がふっと光を失った。
それが運命が動きはじ出した予兆だと、誰も気付かれることもなくー
薔薇の茂みをかきわけ紳士を追ううちに、私は無人の豪華なティーパーティー会場へ飛び出した。
「あ、いた!待ってください、落とし物を届けにきました!」
「!?君はさっきの・・・・・・?」
(よかった、やっと追いついた!)
けれど、ほっとしたのもつかの間でー険しい声が飛んできた。
「止まれ。」
「へ?」
振り向いた私の手首を歩み寄ってきた男性が強引につかみ、引き寄せる。
「俺の許し無しには一歩も歩くな。手はないと、この細い手首どうなっても知らないよ。」
「ヨナさん、あまり掴んでは彼女を怯えさせますよ。」
「あ、あなち方は・・・・・・?」
「君はこの俺を・・・・・・ヨナ・クレメンスを知らないと言うつもり?」
(そんなこと言われても知らないもんは知らないし・・・。)
「見かけない顔ですね。貴女はダウやってこの場所へ入ったんですか?」
「説明が難しんですが・・・・・・あの人を追いかけるうちに迷い込んでしまって。」
「『あの人』とはどなたでしょうか?」
「だから、あそこに立っている・・・・・・ってあれ!?」
白ウサギに似た紳士ー長いのでもう省略すると白ウサギさんは、忽然と姿を消していた。
(せっかく追いついたのに!急いで探さないとまた見失っちゃう。)
「あの、話の途中ですみませんが、先を急ぐので失礼しますね。」
「神聖な『ガーテン』に不法侵入しておいて、そんな誤魔化しか通用すると思うの?」
「誤魔化してるわけじゃ…」
「言い訳はいらないよ。俺をなめないでくれる?」
ヨナと名乗った男性は内ポケットから何かを取り出し、私の両手首へ素早く巻き付けた。
「これ・・・・・・手枷(てかせ)!?何をするんですか!」
宝石があしらわれた手枷は、軽くて華奢なつくりなのに、渾身の力で引っ張ってもびくともしない。
「とうあがこうと外れないよ。君が俺にひざまずいて、ないて謝罪するなら別だけどね。」
(お人形みたいにきれいな顔して、とんでもないこと言うな、この人・・・っ)
「容赦ないですね。ヨナさん。困ったものです。」
「『容赦がない』?君にだけは言われたくない言葉だね。」
「何のことか。」
(エドガーさんは優しそうだけど、助ける気はないみたい・・・。もう!落とし物を届けたいだけなのに、なんでこんな目に遭わなきゃならないの?)
「こんなもの、今すぐ外して!私は急いでいるの。」
カナリアが急に光だしました。
「!?」
(な、何!?今の光…・・・?)
光がおさまると、手枷が緩んで手首を滑り、カシャン、と音を立てて地面に落ちた。
(あれ?なんか外れた。)
「魔法を弾き飛ばした・・・?」
「まさか君は、あの『アリス』なの?」
(『魔法』?『アリス』…・・・?)
尋ね返そうとした時、自由になった私の手首を誰かが掴んだ。
「ポケッとするな。こういう時は走って逃げるのが常識だろうか。」
「え?わ・・・っ」
「!!」
突然現れたシルクハットの男性に引っ張られ、そばにあった扉の中へ連れ込まれる。
するとーらせん階段の下に役所のような大ホーが広がった。
(今まで私がいたのは、この建物の空中庭園だったんだ!っ・・・ううん、そんなことより!)
「あなたはどなたですか?どうして私を・・・。」
「黙って走れ、このぽんこつ。さっきの奴らにまた捕まりたいのか?」
(初対面なのに暴言・・・!?)
あ然としながら彼に引きずられ、階段を駆け下り、ホールを突っ切る。
「よっと。」
「!?」
正面扉が彼の長い足で蹴破られると、月明かりに照らされた路地が、目の前に開けた。
「彼女を連れ出してくれてありがとう。助かったよ。帽子屋さん。」
(白ウサギさん!?)
「礼を言ってるヒマがあたっなら、とっととずらかるぞ、ブラン。」
帽子屋と呼ばれた男性は私を離し、そばに停められていた馬車の御者台へと飛び乗る。
「さあ、君は僕と馬車の中へ。急いでこの場かを離れよう。
「え、私も?」
「そう。君も。ーーーおいで」
ふかふかのクッションに腰を下ろすと、馬車はすぐさま夜の中を走りだした。
「さてと、これでゆっくり話ができる。君は僕の落とし物を届けにきたと言ったね。」
「あ‥そうなんです。この懐中時計、あなたのですよね?」
「あ、本当だ・・・落としていたとは気付かなかった。ありがとう。恩に着るよ。これはとてもとても大切なものなんだ。」
白ウサギさんは懐中時計を受け取り、とろけるような甘い笑顔を見せた。
「自己紹介が遅くなったね。僕は、ブラウン・ラバン。親しい友人は白ウサギとも呼ぶよ。」
(あだ名が白うさぎなんだ・・・。私と同じことを考えた友達が何人もいるんだろうな。ともかく、これでようやく色んな事をこの人に尋ねられる。)
「私はカナリア・アインツベルといいます。あの、一体ここはどこなんでしょう?」
「-君は『不思議の国のアリス』という童話知ってるかい?」
「え?それは知ってますけど‥有名なおとぎ話でしょう?」
「『不思議の国のアリス』はおとぎ話なんかじゃないよ、カナリア。その証拠に君は今、こうして不思議の国へとやってきた。」
「ええっと・・・からかってます、よね?そんな冗談を真に受けるほど子供じゃないです。あなたとそう年も変わらないと思いますし・・・」
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