君の日々に、そっと触れたい。
Chapter 3

「居場所なんてない」

【李紅side】


すっかり細くなった指を折って数える。
入院してから3週間と3日が経った。リハビリはかなり順調で、もう車椅子にも歩行器にも頼らずにある程度歩ける。水頭症の方はもう大丈夫ということだろう。

今日はなんだか久しぶりに体調が良かった。と言っても依然として熱っぽいだるさは付き纏うけれど、それでも頭痛も吐き気もあまりなくて、珍しく固形物を口にすることが出来た。

そんな絶好調の日に見舞いにやってきたのは、1年ぶりに顔を合わせる、父方の祖母だ。

「李紅ちゃん!ひさしぶりねぇ」

病室に入るなり勢い良く抱きつかれ、思わず身体が後方に倒れ込みそうになるのを、おばーちゃんが慌てて引き戻してくれた。

おばーちゃんは純粋なドイツ人だが日本のアイドルが大好きで、日本語はペラペラだ。ちょっとだけイントネーションが可笑しいけれど。

「おばーちゃんもひさしぶり、元気だった?」

なんて俺が聞くのも変だけど。

「もちろん、ピンピンしてるわ!ああもっと、早くに来たかったのよ本当は……」

おばーちゃんは足が悪い。だからアメリカから飛行機での移動はなかなか大変だ。
それでも、小さい頃から日本はおろか病室からなかなか出られなかった俺のために、おばーちゃんは頑張って日本に来てくれた。数年前におじーちゃんが亡くなってからは、この近くの山に建てた別荘に、何ヶ月か滞在することもあった。


「今回もしばらく居るの?」

「そうね。特には決めていないけれど、桜は日本で見たいわね」

つまり、俺が死ぬまで居てくれるということだろう。

「じゃああの別荘、使うんだ」

「ううん。今回は李紅ちゃんの家にお世話になることにしたの。あの別荘は辺鄙なところにあるし、タクシーも入れないから、この足じゃあねぇ…」

「確かに……」


おばーちゃんの別荘。小さい頃に、1度だけ連れて行ってもらったことがある。山の上に建っているから、なかなか険しい道のりを辿らないといけなくて、結局途中で具合悪くなっておばーちゃんにおぶられて登ったんだ。
後からそれが母さんにバレて怒られて、おばーちゃんと一緒に正座したっけ。

──懐かしい。



きっと俺たちは、幸せな家族なんかではなかった。俺のせいで。でもこんなふうに笑って思い出せることは山ほどあって、そのどれもが温かい。

俺は両親を、祖母を、心から尊敬していた。





……………そう、ただ…………この瞬間までは。



この時の俺には、まだ知る術もなかった。

幼い頃から培ってきた両親の愛情を、繋がれた絆を、自ら振り払うことになるなんて。


それは耳を塞ぐ間もなく、淡々と告げられた。


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