君の日々に、そっと触れたい。
そうして李紅はまた眠った。いつもなら寝ていても起こせと言うくせに。でも今日の李紅は、酷く具合が悪そうで見ていられなかった。寝て良くなる訳ではないんだけれど、眠ってる時だけは穏やかな顔をしていた。
暫く李紅の寝顔を眺めていたけれど、そろそろお母さんも来るし帰ろうかと思って椅子から腰を離した。
すると、サイドテーブルにぽつんと置かれた教科書の下に、隠すように重なった水色のノートが目に入った。
「これ……」
例の、”死ぬまでにやりたいことノート”だ。
ひさしぶりに見た気がする。
「あ、それ。なんかいつも李紅が大事そうに持ってる…」
賢太郎くんが指をさして言った。
「”死ぬまでにやりたいことノート”だよ。元と言えば私は、これのために傍に居るんだった」
だけど、最近ではすっかり見かけてなかった。李紅が話題にすら出さなくなったのは、もう退院できない身体では、大半の願いがもう叶わなくなってしまったからだと思っていた。
パラパラとページをめくると、前に見た時より少しだけ使ったページが増えていた。バンジージャンプしたいとか、思い切り走りたいとか、花火大会に行きたいとか。もう叶わない願いも、消されることはなく、✕印が付いているわけでもなく、書いた時のそのままだ。
最後に使ったページに書かれていたいくつかの願いは、なんだかよれよれの字で読みづらかった。
『字が上手く書けるようになりたい』
そう書かれていた。
麻痺の現れはじめた左手は、運の悪いことに李紅の利き手だった。
だからこの字は、慣れない右手で書いたのか、動きにくい左手で書いたのか。紙の上を踊っていた。
『頭が痛くて寝れない。けどモルヒネは怖いから使いたくない。なんでもいいから、痛覚がなくなればいいのに』
震える字でそう書かれていた。
『何かを思いっきり食べたい。お腹はすくのに、食べるのがだるい。スプーンも持ちづらいし、食べても戻しちゃうから。だからもう一度、食べ物をおいしいと感じたい。最後においしいと思えた あのりんご飴みたいに』
りんご飴。
あの日、せっかく二人でお祭りに行けたのに、食べれないものばかりだからとりんご飴しか口にしなかった李紅。
その時は食事制限でもあるのだろうと思ったけれど、今思えばあの時から既にご飯が食べられなくなってきていたのかもしれない。
「…………う…」
涙が込み上げてきた。
このところ、李紅がノートの話をしなかったのは、これを読まれたくなかったからだ。叶わない願いと、分かっていたから。
こんな冷たい紙の上で、こんな頼りない震えた字でしか、李紅は弱音を吐けない。わがままを言えない。
不器用で、酷くお人好しだから。
拙い願い事が並ぶ中、最後に書かれていたのは、あまりに小さな字。だけどそれを読んだ私たちは、無言で目を合わせて頷きあった。
どうにかして叶えてあげよう、と。
たとえそれがどんなに叶わない願いでも。
『桜と、ずっと一緒に生きていきたい。
嘘でもいいから、そう誓い合いたい』