拾った彼女が叫ぶから
「あら、私ももうすぐ殿下ではなくなるのよ。名前で呼んで欲しいわ?」
「では……イエーナ様」
「ふふ、マリアって礼儀正しいというか、きっちりしてるのね。長女?」

 そりゃあ誰だって相手が王女殿下なら礼儀正しくもなるだろう、と思う。もしかしてこの殿下は天然だろうか? とふと思って、失礼過ぎる想像に慌ててマリアは蓋をした。

「いえ、姉がいます」
「あら、意外だわ。しっかりしているように見えたから」
「ありがとうございます。姉は随分前に嫁ぎましたから、今は長女みたいなものかもしれません」
「姉妹って羨ましいわ。ほら、私は上が全て兄だから。それにエドモンド兄上とイアン兄上とはだいぶ歳も離れているし、ルーファス兄上とはお母様が違うからこれまであまり話もしてこなくって」

 マリアは飲みかけの紅茶を置いて顔を上げた。

「ルーファス……殿下は、母君が違うのですか」
「そうなの、ルーファス兄上だけはお母様の子ではなくて、庶子なのよ。だからお母様に疎んじられてこれまであまり公務の場には出されなかったの」
「それで……」

 マリアは腑に落ちた。図書館で出会ったとき、王族だと気付かなかった。見覚えがないことがずっと不思議だったけれど、そういうわけだったのか。
 マリアの母親も未だにルーファスが何者か気付いていないわけである。ルーファスは先日国章入りの馬車でマリアの屋敷まで来たのだから、単純に母親が鈍いだけなのかもしれない。つくづく、マリアの親はその辺りのところにまで頭が回らない人なのだ。そういえば、母親が何をルーファスから耳打ちされたのか聞くのを忘れていた。随分と浮かれていたから、今日にでも尋ねてみよう。

 なんせあの日は、ルーファスが訪問しただけではしゃいでいたのだ。そりゃあ、あれだけ美麗な顔立ちの男性が屋敷に来たとあれば、興奮するのも仕方ないのかなとは思うけれど。それでもやり過ぎだと思う。マリアよりも、母親の方がよっぽど乙女のようだった。
 しかも、母親はルーファスの前で「この子ったら毎日シャドウの練習をしてるのよー!」とバラしたのだ。恥ずかしくてスープに顔を突っ込みたくなったのは言うまでもない。ちなみにシャドウとは一人で相手がいるかのように動くダンスの練習の一つだ。マリアはそれでいつもルーファス側……リード側の練習をしていたのだった。ルーファスに教えるための参考にと思って。
 全く母の無邪気さには付いていけない。

「ルーファス兄上も、公務となると周りを上手に言いくるめて何とか回避されるから余計に表舞台には出ていらっしゃらないの。可笑しいでしょう」
「はあ……」

 何が可笑しいのか良くわからず、あいまいな返事を返すにとどめる。何となくルーファスのその態度は想像がついたが。
 それにしてもさっきからまるで世間話だとでもいうように王族の内情を打ち明けられているけれど、イエーナはなぜマリアを呼び止めたのだろう。そして何の話をしようとしているのだろう。まさかゲイルとのことを糾弾されるのではと思うと、気が気じゃない。彼女はどこまで知っているのだろう。
 知らないといいなと思う。世の中の負の感情を知らなさそうな無垢な笑みをわざわざ汚す気はないのだ。

 イエーナが甘ったるい香りを楽しむように紅茶に口をつける。勧められたので、マリアも同様に口をつけた。カップを戻す微かな金属音と共にイエーナが目配せをし、侍女がサロンを出て行く。
 イエーナが姿勢を改めた。

「どうして話し相手に呼ばれたのかわからない、っていう顔をしているわ」
「すみません」
「ううん、顔に出るって良いことだと思うの……私なんていつも笑顔でいなさいって言われて育ったから、それが染みついてしまってるのよね」
「いつも笑顔……ルーファス殿下もそうですね」

 マリアはルーファスの笑みを思い出して頷いた。

「ルーファス兄上はお上手よね。色んなことをあの笑みの下に隠してらっしゃるの。エドモンド兄上は頭がガッチガチだけど裏がないわ。イアン兄上はどちらかというと奔放だけど、エドモンド兄上と同じように隠し事は苦手ね。けれどルーファス兄上は」

 どくん、とマリアはルーファスの何を考えているのか分かりづらい笑顔を思い出して、心臓を跳ねさせた。

「大事なことを隠してらっしゃるから……マリアが傷付く前にどうしてもお伝えしたいと思って」
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