拾った彼女が叫ぶから
知りたくなかった
先日ゲイルの名前が会話に出てきたところだからか、嫌なものを引き寄せてしまったとマリアは深いため息をついた。目の前にはおっとりと笑う女性がいるので、心の中でだけだが。女性というよりもまだ少女と形容した方がしっくりくる。
「お会いできるなんて奇遇ですわ。前から一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていたのです。今日はラッキーな日ですわ」
──私はアンラッキーなんですけど。
ちらちらと辺りを見回すけれど、見えるのは彼女の後ろで目を光らせている護衛の姿だけで、逃れられる当てもない。そもそも相手が王族では断ることもできない。マリアは頰を引きつらせてその女性──王女殿下でありガードナー公の婚約者であるイエーナに微笑んだ。
──しかも、何が悲しくてここへ来る羽目に。
ルーファスを屋敷に案内した翌日、マリアがいつものように王宮でルーファスのところに向かう前に、王女殿下に鉢合わせしてしまったのである。そして「兄上には私から後で言っておきますから」と腕を取られて連れてこられた場所は、何の苦行かゲイルの屋敷であった。頭を抱えたい。
ガードナー家のサロンに通されたマリアの目の前では、キャラメルを思わせる甘ったるい香りのする紅茶が湯気を立てている。イエーナが嫁入りの際に連れて行くという侍女は先に公爵家で仕事を始めているらしい。これまでとは勝手が違うだろうに、侍女はもう慣れた手つきで紅茶を淹れた。というかイエーナ自身が既にもう女主人であるかのように、この屋敷に馴染んでいる。確か婚礼はまだ半年以上先のはずなのに。
「ごめんなさい、お会いしてすぐにこんな所まで連れ出してしまって」
しおらしい声で謝った女性(ひと)は、ゆっくりと話すその口調までおっとりして聞こえる。不思議な感じだった。かつて、ゲイルの妻はどんな人だろうと毎日のように想像していたことがあったものだけれど、目の前の女性がその人なんだと何とも言えない複雑な気持ちになる。
「いえ……、イエーナ殿下は普段はこちらに?」
「ううん、違うの。まだお嫁入りの準備は王宮(あちら)でもしているんですけど、あちらではゆっくり話ができないかもしれないと思って」
「あの、そのような言葉遣いはお止めいただければ……、本来でしたら私が礼を取るべきですのに」
「そう? マリア様がそう仰ってくださるならほっとするわ。本当はこういう堅苦しい喋り方が苦手なの」
「できれば様もなしでお願いします」
「ふふ、じゃあなんと呼べばいい? マリア姉さま?」
ふんわりと笑うイエーナはどこかルーファスに似ている。ヘーゼルの瞳にダークブロンドの髪。髪はリボンを巻き込んで編み込まれている。王妃にそっくりだ。大きな目元がくりくりとしていて、王妃が持つ貫禄とはまた別の、鷹揚な雰囲気が可愛らしい人だった。
やはり殿方というのはこういう女性の方が好きなのだろう。
それにしても「姉さま」はおかしい。もしも、もしもだけれど……マリアが今もゲイルの愛人であったなら、イエーナはこんな風に可愛らしい目で自分を見ることはなかったのだろうな、と思う。自分は彼女に何と呼ばれただろう?
──「泥棒猫!」とか?
でも自分の方が先だから、泥棒ではないはず。じゃあマリアがその台詞を言う側だろうか? でもそれもそぐわない気がする。
想像したら可笑しくて、何だか、これで良かったんだと……ふと思った。
「マリアとお呼びください、イエーナ殿下」
「お会いできるなんて奇遇ですわ。前から一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていたのです。今日はラッキーな日ですわ」
──私はアンラッキーなんですけど。
ちらちらと辺りを見回すけれど、見えるのは彼女の後ろで目を光らせている護衛の姿だけで、逃れられる当てもない。そもそも相手が王族では断ることもできない。マリアは頰を引きつらせてその女性──王女殿下でありガードナー公の婚約者であるイエーナに微笑んだ。
──しかも、何が悲しくてここへ来る羽目に。
ルーファスを屋敷に案内した翌日、マリアがいつものように王宮でルーファスのところに向かう前に、王女殿下に鉢合わせしてしまったのである。そして「兄上には私から後で言っておきますから」と腕を取られて連れてこられた場所は、何の苦行かゲイルの屋敷であった。頭を抱えたい。
ガードナー家のサロンに通されたマリアの目の前では、キャラメルを思わせる甘ったるい香りのする紅茶が湯気を立てている。イエーナが嫁入りの際に連れて行くという侍女は先に公爵家で仕事を始めているらしい。これまでとは勝手が違うだろうに、侍女はもう慣れた手つきで紅茶を淹れた。というかイエーナ自身が既にもう女主人であるかのように、この屋敷に馴染んでいる。確か婚礼はまだ半年以上先のはずなのに。
「ごめんなさい、お会いしてすぐにこんな所まで連れ出してしまって」
しおらしい声で謝った女性(ひと)は、ゆっくりと話すその口調までおっとりして聞こえる。不思議な感じだった。かつて、ゲイルの妻はどんな人だろうと毎日のように想像していたことがあったものだけれど、目の前の女性がその人なんだと何とも言えない複雑な気持ちになる。
「いえ……、イエーナ殿下は普段はこちらに?」
「ううん、違うの。まだお嫁入りの準備は王宮(あちら)でもしているんですけど、あちらではゆっくり話ができないかもしれないと思って」
「あの、そのような言葉遣いはお止めいただければ……、本来でしたら私が礼を取るべきですのに」
「そう? マリア様がそう仰ってくださるならほっとするわ。本当はこういう堅苦しい喋り方が苦手なの」
「できれば様もなしでお願いします」
「ふふ、じゃあなんと呼べばいい? マリア姉さま?」
ふんわりと笑うイエーナはどこかルーファスに似ている。ヘーゼルの瞳にダークブロンドの髪。髪はリボンを巻き込んで編み込まれている。王妃にそっくりだ。大きな目元がくりくりとしていて、王妃が持つ貫禄とはまた別の、鷹揚な雰囲気が可愛らしい人だった。
やはり殿方というのはこういう女性の方が好きなのだろう。
それにしても「姉さま」はおかしい。もしも、もしもだけれど……マリアが今もゲイルの愛人であったなら、イエーナはこんな風に可愛らしい目で自分を見ることはなかったのだろうな、と思う。自分は彼女に何と呼ばれただろう?
──「泥棒猫!」とか?
でも自分の方が先だから、泥棒ではないはず。じゃあマリアがその台詞を言う側だろうか? でもそれもそぐわない気がする。
想像したら可笑しくて、何だか、これで良かったんだと……ふと思った。
「マリアとお呼びください、イエーナ殿下」