拾った彼女が叫ぶから
足音の大きいイアンだが、全く聞こえなかった。ノック音も耳に入らなかった気がする。

「兄上がお呼びになったのですか?」
「何の話をしてたんだ?」

 ルーファスはエドモンドを、イアンはルーファスをそれぞれ見る。エドモンドがため息をついた。

「ルーファスの婿入りの話だ」
「おおっ! もしかしてマリアちゃん? ついにってか! あの家、男いねーもんなあ。にしたっていつの間にまとまったんだよ。もしかしてルーファス、お前ガードナー公をのしちまったのか?」

 イアンが目を丸くする。
 婿入りとは言い得て妙だな、とルーファスは他人事のように感心してしまった。
 それにしてものしたとは穏やかではない。もちろん、ルーファスもそうする気ではいるのだが。

「先走るな、イアン」
「イアン兄上、ガードナー公をのしたらイエーナはどうするんですか」
「あ、ああ、そうだよな。イエーナが……でもあいつ潔癖だからいずれ自分から叩きつけるんじゃないか?『わたくしは、婚約者がいながら他の未婚の女性と二人きりでお話されるような慎みのない方とは結婚いたしません! 汚らわしい』ってな」

 イアンがイエーナを真似て身体をくねらせる。ルーファスはこらえきれずにくくっと笑った。エドモンドが苦虫を噛み潰したような顔をした。
 ルーファスにとっては義理の母である王妃は非常に潔癖な人なのだが、その気質を一番強く受け継いだのがイエーナだ。だからか王妃にとってはイエーナが一番可愛い娘で、濁った水にも喜んで身を投じるイアンとは反りが合わない。
 ちなみに王妃いわく「汚泥から産まれた子」であるルーファスは、彼女の視界にすら入らない。

「イアン、話が脱線する。イエーナが泣いて喚いても、この結婚は覆らない。わかるだろう」

 その言葉は、ルーファスにとっても苦いものでしかない。
 イエーナの結婚が王命によるもので覆らない以上、ルーファスとマリアの結婚も実質的には不可能に等しい。なにせ義母が実質作ったと言っても過言ではない、初婚は処女のみに限るという悪法があるのだ。
 どうとでもごまかせばいい、とこのときまでルーファスは楽観視していた。ゲイルが過去を持ち出さないように脅したのも、この悪法をかいくぐるためだ。婚姻の申請書を提出しても、横槍を入れられれば簡単には許可が下りない可能性が大きい。
 エドモンドだけなら、先ほどと同様に噂はあくまでも噂だと突っぱねることが可能だ。だが相手が義母となれば、自分の申請が通る可能性は格段に低くなる。

「ルーファス、お前またなんか考えてるな? どうせマリアちゃんのことだろ。それともパメラちゃんか?」
「そうだ、ルーファスをパメラ殿のところへ遣る」
「えっ? お、おいっ、何だよそれ! 婿入りってそっちかよ!? ルーファス、お前やっぱり本命はパメラちゃんだったのかよ」

 イアンが目をきょろきょろさせる。
 どうやって誤解を解くべきか。イアンに、パメラとルーファスの関係は知られたくない。正確には、彼に打ち明けることで、社交の場で明るみになることこそ避けたい。
 二人の関係に触れずに上手く説明できないだろうか……と、そこまで考えたところでルーファスはマリアの話を思い出した。
 彼女がイアンと同じ誤解をしたのは、イエーナから聞いたからではなかったか。

 イエーナが、ルーファスさえ知らない──そもそも最初から打診もない──婚約話を自ら作り広めるのは無理がある。ゲイルがその話を彼女に聞かせたに違いない。狩猟のときの口振りからしても、むしろ彼が首謀者ではないか。
 イエーナとの結婚を間近に控える今、彼の目的は一つだ、マリアをそれとなく遠ざけるため。当のマリアは裏でゲイルが手を引いていることなど、気付いていないようだったが。

 ならばそれを逆手にとれば良い。

「うわっ、お前また悪い顔してるぞー? なーに考えてるんだ? まさかパメラちゃんとマリアちゃんの両方と上手くやる算段でもしているんじゃないだろうなあ?」

 肩にがばりと腕を回してきたイアンを笑顔で睨み、ルーファスはぺいっとその腕を振り落とした。
< 53 / 79 >

この作品をシェア

pagetop