拾った彼女が叫ぶから
「はい。僕、第三王子なので」

 ルーファスが種明かしが愉快でたまらないという風に目を細めた。
 「ちょっと待ってコール」の再来である。頭の中が疑問符と感嘆符で埋め尽くされた。
 
 口をぱくぱくさせることしかできない。唇は震え、漏れ出た呼気がかろうじて「あ、あ、」と紡いでいることだけがわかるような体たらくだ。
 さっきよりもひどい。

「なんでそんなの……いっ、いえっ、王子殿下がこんなところに……!?」

 ひっ、と声にならない悲鳴を上げてマリアは飛びすさった。いや、マリア自身はそうしたつもりなのだが、実のところルーファスに腰をがっちり抱え込まれていたので、心の中で飛んだ距離ほどには物理的な距離は稼げなかった。大体が馬車の中である。距離の稼ぎようがない。

 ──やってしまった!

 顔から血の気が引いた。
 これはまずい、さっきとは比べ物にならないくらいまずい。いや、どうなんだろう、相手が男だからまずくはない?
 王女様を襲ったわけじゃない。いや、女の人を襲う趣味なんてこれっぽっちもないけれど、ってそういうことじゃなくて王族に手を出した(というか正確には誘った?)罪ってどんなものなのか。
 いまやただの平民に過ぎないマリアだ。自ら誘ったことを言い逃れもできない。

「あのっ、私、そうとは存じ上げなくて! ごめんなさい、じゃなくて申し訳ございません! あの、殿下相手にこんなこと……あ! あんたとか呼んだのも、申し訳ございません! 重ね重ね非礼をお詫びいたします……! せめて両親のことを罰するのだけはやめてっ……じゃなくてお許しください!」

 離れることも叶わず、マリアは揺れる馬車の中で膝に頭をつける勢いで身体を折り曲げた。ドレスをぎゅっと握りしめる両手はがたがたと震える。顔なんて到底上げられない。

「マリアさん」
「申し訳ございません、決して誘惑するつもりではなかったんです本当です、私の家はこの通り今は一介の国民にございます。殿下をたぶらかすつもりなんてこれっぽっちもなかったんです」
「マリアさん」
「私への罰はどんなものでも受けますので両親に罰を与えるのだけはお許しいただけないでしょうか、それとあのウチはお金がありませんので罰金や私財差し押さえなんかはできましたらご斟酌いただければ」
「マーリーアさん! 顔を上げてください」

 わずかに宥めるように強められた調子に恐る恐る顔を上げると、ルーファスがほっと口元を緩めて小さく笑い声をあげた。

「マリアさんって、あくどいことは考え付きもしないんですね」
「あくどい? 今の話のどこが悪いことにつながるんです? あ、いえ、私があの、たぶらかしたと仰るならもうあの、事実だけを見ればそう取られるのかもしれませんが決してそのようなことは」
「違いますって。ほら、普通は寝た相手が王子だとわかったらお金をふんだくったりするものじゃないんですか? あとはほら、昨日僕はマリアさんの中に子種を出しましたから、子供ができるかもしれないから責任を取って結婚してくれと責めるのもありですよね」

 目を細めたままつらつらと「あくどいこと」の内容を挙げるルーファスに、マリアはぽかんと口を開けた。
 そういう思考が全くなかった自分を褒めればいいのか、そんなことも思いつかなかった頭の弱さにがっくりくればいいのか。
 そもそも王子ともあろう人が、そんな黒いことを曇りのない笑顔で言い連ねていいんだろうか。なんか不気味だ。

 ──いやそれより、そうだ、確かに思い返せば昨日私ってルーファスに……。

 ぼっ、と水が沸く音がしたが沸いたのは水ではなく、マリアの脳みそである。

「マリアさん? 真っ赤になってますよ」
「うっ、あ、えっ……っと」
「マリアさんって大胆な割に初心ですね」
「だって」

 あの人には中に出されたことなんてなかったから──という言葉をマリアはかろうじて飲み込んだ。
 もごもごと言い淀むマリアをルーファスが覗き込む。

「責任取れって言わないんですか? マリアさん」
「いっ、言うわけないわよ……ないです」
「どうして? マリアさんが言ってくれたら喜んで責任を取りますよ」
「でも昨日は私も自棄になってたし……で、殿下だけの責任じゃないですし……」
「マリアさんって我慢が身に染み付いているんですね」

 我慢の問題なんだろうか。
 マリアだってもう生娘でもない、いい大人である。無理やり奪われたのではない。投げやりになっていたとはいえ一夜の逃避を望んだのは自分だ。とはいえ、子供ができたらどうしよう。
 でももうどちらにせよマリアは結婚できない身だし、子供を育てながら細々と暮らすという生活もなくはない。ああ、それだと彼が困るのか。庶子なんて万が一発覚すれば大ごとになる。存在しない方がいいのだ。つくづく昨日の行為は考え無し過ぎて、今更ながら頭が痛い。

「好きに言ってくれれば良いのに。そうだ、まずはルーファスと呼ぶところから始めましょうか」
「め、めっそうもない」

 ルーファスがふうとため息をつく。まったく強情なんだから、と独りごちた。

「ではあと一度でも僕を殿下と呼んだら、ここでもう一度マリアさんを頂きますよ?」
「はいッ? でっ、……待ってください、頂くって」
「昨夜みたいに、ね」

 ルーファスが目尻を下げて笑う。笑うと目尻にほんの少し皺が寄って雪解けを思わせる温かさを感じる。なのに怖い。一体彼は何歳なんだろう。自分よりも年下のように見えたのだが、自分の方が振り回されている。
 今だってとんでもない発言で、マリアは慌ててぶんぶんと首を振った。これ以上は絶対に困る。身持ちが軽いどころの話ではなくなる。
 ──大体ここは馬車の中じゃないの!

「で、では……ル、ファス、様」
「やだな、誰ですかそれ。はは。様はなしですよ、マリアさん」
「ルー、ファス」
「はい、良くできましたね。マリアさん。子ウサギみたいに震えてますけど、取って食いやしませんから、ね? 本当は食べたいけど」
「えっ」
「冗談ですよ。食べるのはまたの機会にします。じゃ、今からミリエール宮へ行きますね」

 ──お、王宮……!
 さらりと何か言われたような気がする。が、それよりも今はその二文字の方が絶望的だった。
 満面の、だがどこか不穏な笑みを浮かべたルーファスを前に、マリアは今すぐ失神したかった。できなかったけど。
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