それでも僕は君を離さないⅢ
高層ビルは吹き抜けになっている中央部にエスカレーターがあり

その右手にあるカフェのデッキでは

この寒さをどうでもいいことだとして

湯気の立つコーヒーカップを口元に運びながら

スマホを見たり新聞を読んだりと

出勤前の貴重なひとときを過ごす数人がチェアから足を投げ出していた。

多田貴彦は毎朝同じ席に陣取り遠くの改札口方面に目を向けていた。

始業時間にはまだ充分すぎるほどの時間があった。

襟元にはダークグレーのマフラーを巻き

濃紺のカシミアコートはかなり厚めの方だ。

長い脚を伸ばして組み

吹き抜けの地下に時折地上から吹き込む風のせいでコートの裾が軽くひるがえった。

「来た。」

貴彦が目指す姿は頻繁すぎるほどバッグを左右に持ち替えるという

普通でない癖をもつOLだ。

彼女のバッグが重そうだということは前々から気づいていた。

さらに帰宅時間は必ず定時でこの通路ではないことも分かっていた。

帰りは朝とは違うルートのメトロを利用しているのだろうと検討もつけていた。

貴彦は少なくともストーカーではない。

気になる女がいたら行動バターンを頭に入れておきたかっただけだ。

狙ったものは逃さないキャリアを自負していたが

残念ながら今までそれが実った試しがなかった。

理想が高すぎるのか

途中で断念するしかない事情ばかりで

多少なりともどうしてだと憤慨する気持ちが常に心の奥にあった。

さらに引っかかる事柄が一つあった。

必ずヤツらが彼女の尻を追って歩いていた。

雄の本能ともいうべき敵対心が沸いた。

「あいつら、毎朝気に食わねえ。」

貴彦は彼らが自分と同レベルかそれ以上の外見だということに

違った意味でまた憤慨していた。

「俺の静香に手出しすんな。」

貴彦がマークしているまだ名も知らぬOLを静香と呼んだのは

その歩き方がまるで大奥の長い木廊下をへりくだった姿勢のまま

床を引きずる着物の裾をサラサラとさせて

静々と足袋を運ぶ有り様で歩く映像が脳裏に浮かぶからだ。

恐らくはどこかの役員秘書か大手のコンシェルジュだろうと

勝手に思い込んでは声をかけるタイミングを毎朝測りかねていた。

「くそ、今日もダメだ。」

貴彦は小さく呟いて仕方なく席を立ちエスカレーターに向かった。

カップの中のコーヒーがすでに冷めきっているのもどうでもいいことだとして。

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