それでも僕は君を離さないⅢ
ψ. 咲良の情熱的なアプローチ
「あら、失礼。」

コンビニのコーヒーマシンは毎朝酷使されていた。

咲良はスーツの肩が触れ合った女性にそう言われ、その声に一瞬でのぼせた。

高からず低からずハスキーすぎずな声だ。

先日エレベーターで乗り合わせ、かっこいいと一目惚れしてしまった他社のチーフだった。

この偶然を逃す咲良ではない。

「いや、こちらこそ。」

左の口角を意識して引き締め、視線を交わした。

「ブラックですか?」

軽く言って右の眉を上げ、再び目を合わせた。

「あなたは?」と聞かれ、咲良は舞い上がった。

秘かにだ。

コーヒーマシンからそれぞれのカップにドリップされる間も、咲良は話しかけるのを忘れない。

「胃に悪いですよ。」

「わかってはいるんだけどね。」

チーフの気さくな言い方に咲良は気を良くした。

「僕はクリーム派です」

とスーツのポケットからマイミルクを見せた。

手の平には植物性油脂ではない、生乳のポーションが2個ちょこんと乗っていた。

「へぇ、本物志向なの?」

「おひとつ、どうぞ。」

「いいの?ありがとう。」

二人はそれぞれのカップにミルクを流し入れた。

「オフィスは近いのかしら?」

「17階です。」

「あら、そうなの。私は23階よ。」

咲良は名刺を差し出しながら「近藤です。」とさりげなく言った。

「朝一に名刺交換なんて初めて。」

咲良はもらったチーフの名刺をスーツの胸ポケットにそっとしまった。

感激で胸がいっぱいだ。

連れだってコンビニからエレベーターへ移動した。

朝早い時間帯のため、二人以外はエスカレーターを利用する人がほとんどだった。

上昇するエレベーターの中で、咲良は心臓のドクドク音が響きそうになるのを必死にこらえた。

「初対面ですけど、今度ランチをご一緒できませんか?」

「ランチ?」

お互いに手元のコーヒーをすすった。

「お忙しいですか?」

咲良はあくまでも丁重さを心掛けて聞いた。

「当分はクソ忙しくてランチもミーティングでつぶれちゃうの。」

「それは身体に良くないですね。」

こんな控え目な言い方ができる自分を咲良は心の中で自負した。

「私もそう思うわ。あなたが連れ出してくれるなら、今日は残業までもつかも。」

「承知しました。お連れしますよ。」

やったぜ!

咲良は脳内でガッツポーズをした。

「じゃ、あとでショートメールをもらえるかしら?」

「わかりました。ありがとうございます。お先に失礼します。」

17階で降りた咲良はエレベーターのドアが閉まる間、コーヒーカップを掲げて彼女を見送った。

その場にへたり込みたい衝動をなんとか抑えオフィスへ向かった。

< 55 / 58 >

この作品をシェア

pagetop