言い訳~blanc noir~
生きる屍
 このマンションから夏海が去った翌日、疲労なのかそれとも季節の変わり目によるものなのかはわからないが数年ぶりに39度を超える熱が出てしまい数日寝込む事になった。

 人の温もりはもちろんクロの気配さえなくなっただだっ広いこのマンションに一人、身を置く事は確かに孤独だったが、そんな事さえ気にならないほど熱にうなされた。

 朦朧とする意識の淵で遂に沙織とクロが迎えに来てくれたのかと心のどこかで期待した。このまま眠ればもう目覚める事はない。自分は誰に発見されるのだろうか。これは孤独死というものなのだろうか。

 そんな事を断片的に思いながらベッドに吸い込まれるように意識が落ちてゆく。


 しかし翌朝普段通りいつもの時間に目覚めてしまい思わず一人で苦笑いしてしまった。


「何で生きてるんだよ」


 2日も経てば熱は下がり、3日目には自分でも信じられないほど回復してしまった。特に何かする事もなく完全に暇を持て余した。

 仕事でもするか―――。



 どうやら俺はまだ死ねないらしい。

 この世に生きる希望もなく、何が欲しいわけでも、何か目的があるわけでもない。心臓が煩わしく動き続け、ただ生かされているだけの自分を不思議に思う。

 喉が渇き、腹も減る。眠気を感じ、気が付けば眠りに落ちる。そして、朝を迎える。

 性欲を感じると女を抱く。別にそこに何か深い意味があるわけでも、愛情を欲しているわけでもない。

 罪悪感なんかこれっぽっちもなかった。

 いつもそうだ。

 沙織が死んだ後、女に対して自分から踏み込んだ事なんか一度もない。

 女が勝手に踏み込んでくる。

 俺の事をまるで理解者か救世主のような自分勝手な妄想を抱き、まるでお姫様にでもなった気でいるのだろう。

 愚痴と不満だらけの女はその募りに募った思いを都合よく綺麗な言葉で語り、さも自分は悪くない、私は間違っていないと遠回しに主張する。

 うんうん、と相槌を打ちながら耳を傾ける。時にはもっともらしい言葉で返す事もあった。

 しかし飢えた女はそれだけでは満足がいかないらしい。

 なぜそこに愛だ恋だと、そんなものを欲するのか意味がわからない。

「好きです」と言われたところで何を返せばいい?

 結局女が求めているものは甘く自分を酔わせる言葉と僅かな刺激、それと溺れてしまうほどの快楽でしかない。

 醜い独占欲で縛ろうとする。

 それが愛なのか、俺にはわからない。

 ただ面白みのない暇な毎日を補うにはちょうど良かった。


 セックスでしか繋がりのない腐った関係を穢れのない純愛とでも思っているらしい。

 愛してる。

 そんな言葉ならいくらでも言える。


“それで満足するならいくらでも言ってあげるよ。愛はないけどね。”


 うっとりと恍惚の表情を浮かべる女の耳元で囁きたくなる。


 人間の人格は環境や経験により形成されるそうだ。

 沙織を失った事で、人間として大切なものが欠落したのだろう。もう感情というものが、何なのかすらわからなくなっていた。

 どうでもいい。なんでもいい。自分がどうなろうと、構わなかった。


 そんなに俺を愛してるなら俺と同じ目に遭えばいい―――。
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