言い訳~blanc noir~
安寧
「言ってみるもんだな。まじで200万持ってくるとはねぇ」


 ホテルのラウンジ。和樹は沙織の夫である広瀬リョウとテーブルに向き合うように座っていた。


「こちらに本日の日付けと署名、捺印を」


―――広瀬リョウ


 汚い文字で受領書と示談書に署名し、安っぽい三文判で押印すると和樹に用紙を差し出した。沙織の夫である広瀬リョウは終始にやついた品のない笑みを浮かべている。


 一刻も早くこの場を立ち去りたい。


「あと先日お渡しした離婚届を頂けますか?」


「ああ、はいはい」


 広瀬から緑色に縁取られた薄い用紙を受け取ると和樹は記入漏れや誤字脱字がないかを確認し、クリアファイルに先ほど受け取った2枚の用紙と一緒にしまった。


「確かに。では今後沙織さんへの接触は一切ご遠慮ください」


 和樹が事務的にそう伝えると広瀬はふんぞり返ったままコーヒーを口にした。


「別に用事ねえし」


「こちらが200万です。ご確認ください」


 広瀬がにやりと目を光らせ帯でくくられた札束を手に取った。


「あんな女に200万の価値があるとは思えねえけど」


「そうですか」


 馬鹿な男の言葉に耳を貸すつもりもなく、和樹は表情を変える事なくバッグの中にクリアファイルをしまう。


「では、これで」


 伝票を手に取り立ち上がると和樹はラウンジを後にした。


 沙織が広瀬に対して離婚を切り出した日から2ヶ月。


 今日ようやく決着がついた。


 広瀬は自分自身の不倫や沙織への暴力は棚に上げ、慰謝料として200万をよこせと意味不明な要求を沙織に繰り返した。

「お前もあの男と不倫してるくせに」と広瀬から責められ言い返す事が出来なかったらしい。

 それ以前にこれまでの度重なる暴力と暴言が沙織の心に大きな傷を作っていた。


 広瀬から電話が掛かる度に震え出し顔面蒼白になる沙織を見るのがあまりにも辛く、200万で全てが終わるならと要求を受け入れる事にした。

 勿論沙織が200万という金を持っていたわけではなく、その金は和樹の預金から用立てたものだ。広瀬もそれをわかっている。

 広瀬が言った、沙織に200万の価値があるとは思えないという言葉が頭を巡る。


 まるで沙織を200万で買い取ったような気分になる不快な言葉だ。
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