料理研究家の婚約レッスン

過去

 二人で夕食をとりながら、碧惟は“過去”を話してくれた。

 碧惟の母、翠は料理研究家として自宅で料理教室を開いていた他、テレビや雑誌の取材なども自宅で受けることが多かったという。

 だから、碧惟の実家には、常に多くの人が出入りしていた。

「お客さんのほとんどが女性で、小さい頃はかわいがってもらったよ。両親とも忙しかった分、スタッフの人にも生徒さんにも、よく遊んでもらった。それが……成長していくにつれ、ちょっと様子が変わってきてさ。有体に言えば、しょっちゅう誘われたんだよ」

「え……?」

「俺も若かったから、つい乗っかったときもあって、それが母さんにバレて大目玉。『わたしの生徒に手を出すな』ってね」

「……」

「手を出されたのは、俺の方だと思うんだけど、不公平だよな」

 年上のおねえさんたちにチヤホヤされる美少年を思い浮かべてしまい、梓の顔が引きつる。

「言っておくけど、人に言えないような付き合いはしてないからな。でも、まあ、そういう環境にもうんざりしたし、母さんの仕事が増えて、有名人の息子みたいに言われるのも面倒で、高校を出たら海外へ逃亡したってわけ」

「ええと、でも、翠先生と一緒のお仕事も結構していましたよね?」

「最初は仕事がなかったからな。イタリアのリストランテで働いているとき、じいさんの具合が悪くなったっていうんで帰国したんだ。こっちでも、レストランかどこかで働けばいいと思ってたんだけど、母さんのところに来ていたテレビ関係者に誘われて、今の仕事を始めた。店に勤めるより自由が利く分、じいさんの世話する時間もできて、結果的には良かったよ」

「そうだったんですね。おじいさんって、どんな人ですか?」

「ハイカラじじい。留学していたせいか西洋料理が好きでさ。今は体調も持ち直して、伯母の家にいるよ」

「もしかして、それでお父さんはシェフに?」

「ああ、じいさんの影響だろうな」

 碧惟の父は、ホテルでフレンチのシェフをしている。

「おまえのうちは?」

 華麗な家族をもつ碧惟に問われ、梓は肩身が狭い。

「普通の田舎の家ですよ」

「俺が当ててやろうか。そうだな……お袋さんは専業主婦。少なくとも、フルタイムの仕事はしてないだろ。結構、亭主関白。姉か兄がいる」

「すごい! 母は専業主婦で、お父さんの言うことが絶対だと思っているような人です。と言っても、父自身は厳しくもなんともないんですけど。兄と姉、両方います!」

「だろうな。そうでなきゃ、こんな甘ったれにならない」

「え……わたし、甘ったれですか」

 世間知らずで、ぼんやり生きてきた自覚はあったが、碧惟に真正面から指摘されてしまうと、さすがに梓もがっくり来る。

「ああ、今は違うけどな。頼りにしてるよ」

 碧惟がテーブル越しに腕を伸ばして頭を撫でたので、梓は照れて笑った。

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