料理研究家の婚約レッスン

スキャンダル

 テレビの公開収録まで2日を切った頃、仕事中に珍しく碧惟から連絡が入った。

 それも電話だ。急用かもしれないと、梓はオフィスを出て打ち合わせスペースで電話を取った。

「梓、今何してる?」

「会社で仕事中ですが、どうしました?」

 梓は、朝9時から夕方5時まで事務のアルバイトをしている。碧惟の本とDVDの制作が忙しかった一時期は残業や休日出勤もしたが、基本的には外出もほとんどしない内勤で、定時に帰っているのは、碧惟もよく知っているはずだ。

「梓、いいか。今日から家に帰ってくるな」

「え?」

 思いがけない碧惟の命令に、梓はクラリとした。

「マンスリーマンション、まだ解約していなかったよな? 荷物は、そっちに送る」

「え、でも、わたし……」

「いいから! 絶対に家に近づくな。悪い、もう切る」

 言いたいことだけ言って、碧惟は慌ただしく電話を切ってしまった。

 携帯電話を片手に、梓は呆然と立ち尽くすしかない。

 とぼとぼと自席に戻ると、顔を上げた弥生が表情を曇らせた。

「梓ちゃん、顔色が悪いんじゃない?」

 梓の話を聞くやいなや、弥生はパソコンのキーボードをたたいた。

「……これだ! 週刊誌に撮られたんだ」

「え?」

 弥生がにらみつけるパソコンのディスプレイを、梓ものぞき込む。

 弥生は梓に見せるのをためらったが、最後は知った方が良いと思ったようだ。席を外して、パソコンを貸してくれた。

 インターネットに載っていたのは、明日発売の週刊誌の記事の抜粋だった。

『イケメン料理研究家・出海碧惟の二股発覚! 人気モデル・湖春と抱き合い、産婦人科へ。アシスタントの一般女性とは同棲か』

 目の前が真っ暗になった。

「きっと、マスコミが先生の家に押しかけているんだよ。だから、梓ちゃんに近づくなと言ったんだ」

 力なく座り込んだ梓を、弥生が労わる。

 一般女性というのは、梓のことだろう。

 いつかバレるんじゃないかとは、危惧していた。けれど、こんな形でとは、まるで予想していなかった。

(二股だなんて……)

 確かに、湖春と碧惟はとても仲が良いように見えた。プライベートでも付き合いがあるとも聞いていた。

 でも、碧惟が他の女性と付き合っているようには、全く見えなかった。

(それとも、またわたしが知らなかっただけ……?)

「梓ちゃん、こんなの気にしちゃダメ。週刊誌なんて、嘘ばっかりって言うじゃない。碧惟先生を信じてあげなきゃ」

「でも、弥生さん……」

 碧惟のことは、信じたい。

 けれど、梓にはその気持ちを打ち負かすほどの傷があった。

「わたし、自分が信じられないんです。前の人のとき、わたしは何も気づけなかった……」

「梓ちゃん……」

 婚約者が他の女性との間に子どもができるまで、結婚式を目前にするまで、盲目的に彼を信じていた。一度だって疑いもしなかった。

 それは、去年のことなのだ。まだ一年も経っていない。

 今回も、梓が気づかなかっただけなのではと思ってしまう、自分が怖い。碧惟を信じたいのに、自分の感覚が信じきれない。

 久しぶりに自分で借りているマンションに戻った梓は、まんじりともせず朝を迎えた。

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