料理研究家の婚約レッスン
 テレビもネットも、怖くて見られなかった。出勤途中に、碧惟の記事が載った週刊誌を買おうと思ったが、結局手が出せなかった。

 代わりに買ってきたのは、弥生だ。

「見なくてもいいと思うけど」

 そう気づかわれたが、梓はそれをもらって帰った。記事を読む勇気が出たのは、家に帰り、しばらくしてからだ。

 一人だけの小さな部屋で、週刊誌を開く。

 記事には、湖春と碧惟が抱き合うような写真が載っていた。碧惟が湖春を支えながら、親密そうに産婦人科へ入る様子も撮られている。

 いつ撮ったのか、梓が碧惟とマンションに出入りする写真もあった。顔は隠されているが、さすがに自分だということはわかる。

 知らない間に写真を撮られ、プライベートを詮索されていたことにゾッとした。

(何を信じればいいんだろう……)

 碧惟を信じたい。

 梓の知っている碧惟は、クールな美貌の裏に、シャイな素顔と茶目っ気を隠した優しい人だ。結婚願望がないから、新婚の設定なんてできないという真っすぐな人だ。演技ができないから、妻の役に素人だけど本当の恋人の梓を指名するような人だ。

(湖春さんと付き合っていたなら、湖春さんを指名すれば良かったんじゃ……?)

 湖春なら、テレビのアシスタントを長年務めているプロのタレントだ。番組も、今度発売する本とDVDとタイアップしてくれたくらいだから、湖春が相手役になった方がうれしかっただろう。

(でも、それだけじゃ決め手に欠ける、か)

 もし、湖春が妻役を務めるなら、写真に映るのが手だけというわけにはいかなかっただろう。出演料も大きく変わる。他の仕事も多く抱えている湖春が、この仕事を承諾するかどうかもわからない。

 また、本当に交際していたとしたら、二人の親密さを誇張するような仕事は受けないのかもしれない。

 湖春を指名しなかったからと言って、湖春と碧惟が付き合っていない証拠にはなりそうになかった。

(碧惟先生と話したい)

 碧惟からは、あれきり連絡がない。梓からも連絡が取れなかった。

 マスコミの対応に追われているのだろうとは思うのだけれど。

(これきりじゃないよね?)

 編集プロダクションとしての仕事は、もう終わってしまった。これから先は、出版社の仕事になる。

 本とDVDの発売、そして公開収録は、明日だ。梓と弥生も行くことになっている。今回の仕事としては、明日が最後になるだろう。

 そもそも、仕事のために始まった同居だった。仕事も終わり、同居も解消されてしまったら、碧惟とのつながりが絶たれてしまうのではないか。

 そんなはずないと思うのに、怖くてたまらない。

 一人きりの部屋で、膝を抱えてうずくまる。

 碧惟と住んでから、こんな思いはしたことがなかった。雪の寒さに震え、高熱にうなされ、武におびえているときだって、碧惟がいてくれたから安心できた。

「……明日、行きたくないなぁ」

 出演者は、もちろん碧惟と湖春だ。大好きな碧惟と湖春は並んでいる姿が大好きだったのに、今は二人が隣り合う様子なんて、まともに見られる気がしなかった。

(先生……)

 祈りを込めて電話をかけたが、碧惟につながることはなかった。

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