茜色の約束

彼女の想像



「ねえ、雪って、いつ頃から降るのかしら?」

 しばらく、紅葉で輝く樹木と樹木の間をゆっくりと歩いていると、志保は再び僕の方へ振り返った。
「そうだなあ。だいたい毎年、一月くらいの気がするなあ」
 僕がそう言うと、志保は「ええ?」と言った。
「私が前住んでいたところは十二月頃には降ったわよ?」
 志保のその言葉で、志保は以前、この場所より北に住んでいたことを察した。
「じゃあ、ホワイトクリスマスは無理ってことね」
 志保は口を尖らせる。
「そうだね」
 僕はそう返事をする。
「雪って、とても幻想的よね」
「うん」
 
 僕は今までに雪を撮ったことは、何回かあった。晴天、雨、雷など、四季関係なく訪れる天気に対し、雪は一時しか現れない。特に僕の住んでいる地域で、雪が降ることは珍しかった。
 だから、僕も雪は幻想的だと思っていた。
 
 志保に、この街に降る、僕が思う幻想的な雪を見せたいな。

 そのように考えていると、志保は突然走り出した。そして、大きな樹木の真下で止まる。
「実!見て?」
 志保はそう言うと、目を瞑り、両手を大きく広げた。
 志保の真上から、次々に葉が落ちる。
「今、私の見えている世界では、雪が降っているのよ?」
 志保は空の涙を拾っていたときと同じように、くるくると舞った。
「え?」
 僕は訳が分からず、聞き返した。ぼく
 僕の見えている世界では、雪など降っていない。志保の頭上を待っているのは、赤色の葉っぱのみだ。
 志保は踊りを止め、両手を下ろし、目を開けた。
「想像すればいいのよ」
「想像?」
「そう。想像よ?」
「そうそうぞう?」
「想像!」
 志保は頬を大きく膨らませる。

 僕は志保が言いたいことが『想像』だということに気づいていたが、少しからかってみた。
 僕が笑いながら、「ごめんごめん。想像だろ?」と言うと、志保は両手を腰に当て、頬を一層膨らませ「もう、知らない!」と、僕に背を向けた。
「ごめんなさい」
 ぼくは笑うのをやめた。
 志保は、顔だけこちらに向け、僕を横目で見る。それから、小さい声で、「まあ、いいけど」と言った。僕が「よかった」と安心して言うと、志保は顔だけじゃなく、体ごとこちらに向け、「じゃあ、さっきの続きね」と言った。


「こうやって、目を瞑ると、見える世界があるの」
 志保は目を瞑る。
「目を瞑って、見える世界?」
「そうよ。目を瞑って、想像すると、そこには果てしない世界が広がっているの。その世界だったら、雪を降らせることも、虹をかけることも、流れ星だってたやすく見られるわ」
 僕も志保と、同じように目を瞑る。しかし、真っ黒なだけで、世界は広がらない。
「僕には見えないよ」
 僕は目を開けた。目を開けると、志保の姿が見える。真っ黒だった世界が、一瞬にして、眩い明かりが灯った。
 
 志保も目を開ける。
「目で見ようとするからよ」
 志保は言う。
「目を使わないで、どうやって見るの?」
 僕がそう返すと、ふっと笑った。
「心で見るの。そのために目を瞑るの」
 
 僕には無理だと思った。僕が目を瞑ると、そこには真っ黒い世界しか存在しない。志保のように心で見て、想像して、世界を生み出すことは不可能だと思ったのだ。
「僕は、目で見えた美しい瞬間を写真に収めているんだ。いくら心で美しい世界が見えたとしても、撮れないじゃないか。だって、カメラは目で見えたものしか、撮ることができないんだから」
 僕は事実を述べた。本当に僕はそう思っているからだ。心で見えても、目で見えなければ意味がない。

「僕には、目に映るものが全てだと思う」

 志保は僕を見た。僕も志保を見る。静かな時間が流れる。
「実の言うことは、ご最もだと思うわ」
 志保は小さく息継ぎをすると、「でも」と続けた。

「全てだとは断言できないんじゃないかしら。心に映るものだって、大切なことはあるわ」

 そう言うと、志保は、肩から掛けていた小さなバックから、何かを取り出した。その何かを僕に向ける。
 それは僕の撮った、志保にあげた写真だった。
 志保は目を瞑り、僕の写真に手を当てた。
「こうやっていると、私、雲になっているの。それでね、地上で、誰かがが私を撮っているところが見えるの。目を輝かせながら、一生懸命私を撮るの」
志保は、少しの間を開ける、微笑みを浮かべる。
「その誰かは、あなたよ?実」
 そう言って、そっと目を開けた。
 志保の優しい微笑みに、僕は息を飲む。僕が志保の浮かべる多くの表情のなかで、一番素敵だと思うのが、この微笑みだった。

「実にも、見えて欲しいな、私の世界。いつか、心で」

 志保が生きている世界は、僕と同じだけれども、違うのではないかと思った。ついこないだも志保に対して、同じような思いを抱いた。たしかあのときは、志保は普通の人とは違う何かを持っていると思ったのだ。
 僕と志保のその違いが、なんとももどかしい。
 
 僕は、僕の目で見えているものを写真で撮る。でもいつか、志保が見えている世界を、僕が見ることができれば。それから、その世界を撮ることができるのならば。
 
 こんなにも素晴らしい奇跡が起これば。
 
 きっと、僕と志保の世界は大きく変化する。


 志保の生きる世界に、僕も行ってみたい。足を踏み入れてみたい。
 

 僕も目を瞑り、両手を大きく広げた。頭上に何かが落ちてくるのを感じる。

「どう?あなたの世界に雪は降っているかしら?」

 僕の耳元で志保は囁いた。
 僕は目を開けた。
「やっぱり、僕にはまだ見えないかな」
 悔しい気持ちと、残念な気持ちが渦巻く。そんな僕に気付いたのか、志保は笑みを浮かべて言った。
「まだまだ、修練が必要ね」
 志保は笑う。僕も笑った。




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