茜色の約束

 その日は、いつもと同じように二人でホームに佇んでいた。

 二人で空を仰ぎ、時より、風によって流れる、美しい形をした雲を探す。

 そんなとき、空を飛行機が走っていた。
 たぶん、それはとても速いスピードで走っていたのだと思う。
 けれど、遠い場所で見つめている僕らにとって、その飛行機はのろのろと遅く走っているように見えた。


 飛行機の後ろには、たった一本の細く白い線が飛行機を追いかけるように続いていた。
 白く、長い長い影のようにも見えた。

「実!見て!飛行機雲よ」

 志保は、決して手が届くことのない、遥か彼方を指差す。
「飛行機雲って、飛行機の足跡のようなものね」
 そう口にしながら、志保は隣にいる僕をゆっくりと見た。

「飛行機雲がある限り、きっと誰も飛行機を見失わないわ」

 そうして、志保は微笑む。

「私も、あのとき、実の足跡があったから、実を見失わなかったの」

 志保の言う、あのときというのが、海での出来事だということにすぐに気が付いた。

 志保の唇の感触、志保の手の温もりを僕は思い出した。
 そして、頬が火照ったのが分かった。志保は僕を見て、ふふっと笑った。

「ねえ、キスするときは、事前にちゃんと言ってね?」
 僕の顔を覗きながら、志保は言う。
 
 僕があのときの瞬間を思い出したことを志保が見抜いたこと、それから、志保の突然のそんな言葉に、僕は心底驚いていた。恥ずかしくなり、何か言い訳しようとしたが、何も言葉が思い浮かばず、ただ口をパクパクしていた。
 すると、志保は僕に背を向けた。そして、顔だけこちらを向く。

「だって、もし、私の唇が涎デロデロだったら、実は嫌でしょう?」
「涎デロデロって・・・」
 志保の言葉の抽出に思わず、僕は唖然としてしまった。そしてすぐに吹き出してしまった。
 
 志保は体全体をこちらに向けた。「何よお」と、笑う僕を見て口を尖らせて言う。
 
 僕は笑いを必死に抑えるため、深呼吸をした。そして言った。
「涎デロデロでも構わないさ」
 志保は目を丸くした。みるみるうちに志保の頬が赤くなる。
 志保は顔を横に向けた。耳まで赤くなっているのが見えた。
「そんなの、私が嫌なの」
「どうして?」
「どうしても」
 僕は志保の代わりに「ふーん」と言った。
 志保は僕のその声が聞こえたせいか、横に向けていた顔を勢いよく僕へ戻した。

「でも」

 志保の小さく、微かな声が僕の耳を優しく撫でた。

「手を繋ぐときは、事前に言わなくていいわよ」

 志保の声がゆっくりとゆっくりと、鼓膜と呼ばれる入口に差し掛かる。

「わかるんだろう?」

 僕がそう訊くと、志保は笑みを溢した。



 カシャッ




< 16 / 22 >

この作品をシェア

pagetop