しあわせ食堂の異世界ご飯
 店内のお客さんがほとんど帰ったのを見てから、アリアは厨房から出て店内にいるリントへ話しかける。
 せっかく食事に来てくれたのに、簡単な挨拶だけでは素っ気ない。

「リントさん、来てくださってありがとうございます」
「ああ。やっと営業時間内に来ることができたな」
「そういえばそうですね」

 リントはいつもタイミングが悪いことを気にしていたらしく、今日は閉店前に来ることができてほっとしたのだと言う。
 アリアはそれを聞いて、ぷっと噴き出して笑う。

「そんなこと、気にしなくていいのに」
「……笑うな」
「っ、すみません」
「…………」

 怒られてしまったので笑いを耐えようとするも、上手くいかず体がわずかに震えてしまう。

「そうだ、リントさん。この後は何かご予定ありますか?」
「この後か? ……今日は特に何もないが」
「なら、新作のスープを味見してくれませんか?」

 寒くなってきたら、やっぱりスープが欲しくなる。ということで、毎日少しずつ新作スープの試作をしていたのだ。
 それがひと段落して、今日にも完成品ができあがる。
 のだけれど、今日の閉店後は味見をしてくれる人がいないのだ。シャルルは王城へ出かけて、カミルはエマと一緒に親戚の家に用事で出かけるのだという。

 リントはどうしたものかと考える素振りを見せたが、すぐに了承の返事をする。

「ありがとうございます! じゃあ、このまま残っててくださいね」
「わかった」

 アリアがるんるん気分で厨房に戻ると、皿洗いをしているエマがにやにやしながら話しかけてきた。

「なんだい、アリアちゃんの恋人かい?」
「えっ!? 違いますよ」
「母さん、馬鹿なこと言うなよ。アリアが困るだろ」

 アリアが楽しそうに尋ねるエマの言葉を否定すると、食器を下げるために戻ってきたカミルもエマを窘める。
 エマはつまらなさそうに、「なんだい」と肩を落とす。

「アリアちゃんだって年頃なんだから、恋人がほしいんじゃないのかい? カミルは十七だけど、まーったく相手がいなくてねぇ」
「あはは……」

 自分の婚約者候補はこの国の皇帝です……とは、口が裂けても言えない。
 そのため笑って誤魔化してみるが、エマはアリアとリントの関係が気になっているようで矢継ぎ早に質問をしてくる。

「デートはしたりしてるのかい? 何回か、食事に来てくれてるよね。ああでも、閉店後が多いかね」
「ああもうっ、私とリントさんはそんな関係じゃないです! リントさんに失礼ですよ。あれだけ綺麗な男の人なんですから、相手の女性なんてよりどりみどりじゃないですか?」
「何言ってんだい! アリアちゃんだって、町娘にしては随分垢ぬけて可愛らしいじゃないかい」
「え……っ!」

 まさかこの流れで自分が褒められるとは思わず、アリアは頬を赤く染める。
 それを見たエマは、うかうかしているとアリアをリントにかっさらわれてしまいそうだと思う。
 カミルにもう少し男らしい一面があったらよかったのだが、肝心なところでへたれるのだ。

 エマは皿洗いを終えて、カミルに声をかける。

「こっちは終わったから、支度して出かけるよ」
「ああ。もうすぐ片づけも終わるから、先に準備しててくれよ」
「わかったよ」

 アリアも厨房の片づけを終わらせて、店内で片付けをしているシャルルを手伝う。
 机の上を綺麗に拭いて、紙ナフキンを補充すれば完了だ。座席数が少ないので、片付けはあまり時間がかからない。

 シャルルは全部終わっていることを確認して、アリアに声をかける。

「じゃあ、私も出かけてきますね」
「うん、気を付けてね。いってらっしゃい」
「はいっ」

 情報収集のため王城に行くシャルルを見送っていると、準備を終えたエマとカミルもやって来た。

「帰りは遅くなると思うから、夕飯は食べて帰ってくるよ」
「わかりました。気を付けて行ってきてくださいね」
「留守をよろしくね」
「はい」

 エマから予定を聞いて、アリアは頷く。
 シャルルと二人で夕飯なら、新作のスープにパン、それから肉を焼けば問題はないだろう。
 エマとカミルを見送って、アリアはリントに声をかける。

「ばたばたしてて、すみません。今スープ用意しますね!」
「あぁ……」

 アリアは厨房に戻り、さっそくスープの準備に取りかかる
 作るのは、トマトをたっぷり使ったストロガノフだ。営業時間の合間に少しずつ進めていたため、そう時間をかけずに作ることができるだろう。

 まずはオリーブオイルでニンニクを炒め、その後に小さく切った鶏肉を焼く。
 そのほかに入れる具材はタマネギと数種類のこの世界特有の野菜だ。
 タマネギが半透明になったらトマトと別の鍋でとっておいた鳥の出汁が聞いたスープを入れて、ゆっくりかき混ぜる。
 それから香辛料を入れて、もう少しコトコト煮込む。

「スープは作るまでに手間暇が多くかかるけど、その分とっても美味しいんだよね」

 できあがったスープを器によそって、その上から粉チーズをかけてスープにまろやかさをプラスする。

 本日のメニュー、『トマトのピリ辛ストロガノフ』の完成だ。

「リントさん、お待たせしました! 今回は、かなり自信作ですよ」
「いい香りだな」

 目の前にスープを置かれると、鼻の奥をくすぐるような感覚に襲われる。
 濃厚なトマトがぎゅっと詰まったスープをスプーンですくうと、溶け切っていなかったチーズがとろけ、視覚からその料理がとても美味しいものだと伝えてくる。

 ずずっとスプーンからスープを飲むと、トマトの香りが口いっぱいに広がった。
 ピリッとした辛みが舌先を痺れさせてくるけれど、それよりももっと食べたいという衝動に駆られる。
 リントは二口目も口に含み、はふっと息をはく。スープの熱さが辛さを引き立て、昼食のカレーを食べたばかりなのにいくらでも食べることができそうだ。

「すごいな、口の中をスープに支配されてるみたいだ」
「リントさんてば、大袈裟ですよ」

 貰った感想にくすくす笑い、アリアはデザートにフルーツを用意する。

「辛さは大丈夫でしたか?」
「ああ。……美味かった」
「――っ!」

 カレーより辛く作ってある、アリアはそう言おうとしたのだけれど思わず息を呑む。なぜなら、リントが美味いと言いながら優しく微笑んだからだ。
 今まで笑った顔を一度も見たことがなかったのに、まさかここにきて見られるなんて思ってもみなかった。

 ――うわ、どうしよう。嬉しい。

「……アリアさん?」

 突然黙り込んだアリアを不審に思って、リントは眉をひそめる。
 わずかに頬を染めたアリアは、「大丈夫です」と言いながら手を振った。そして言い難そうに、口を開く。

「リントさんて、そうやって笑うんだと思って……」
「え? あ……っ!」

 アリアの告げた言葉を聞き、リントは耳まで一瞬で赤くなる。ばっと顔を背け、目頭を手で覆うようにして顔を隠す。
 恥ずかしいというのが、全身から伝わってきてしまって……アリアは逆にそれが恥ずかしくなる。

「ええっと、私の料理で笑顔になってくれるのはすごく嬉しいです。なので、ありがとうございます」
「あ、ああ……」

 はにかむように笑ってフォローするアリアはすぐに落ち着いたけれど。リントは未だに動揺していたようで……慌ててスープをこぼしてしまった。

「熱っ、!」
「大変! リントさん、すぐ冷やしましょう! 水を持ってきますから」
「いや、少しかかっただけだからそこまでしなくて大丈夫だ。驚かせてしまってすまない」

 今度は苦笑するリントを見て、不謹慎にもまたレアな笑顔を見てしまったと思う。
 とりあえず、スープがかかったのは指先だけだったらしく問題はないようだ。特に赤くなったりしていないので、痛みがあってもすぐに引くだろう。

 けれど、上着にスープがかかってしまったようで袖口がシミになってしまっている。

「リントさん、上着にしみちゃってるみたいです。さっと水洗いしますから、脱いでもらってもいいですか?」
「あ、本当だ……」

 スープのシミを確認したリントは、すぐに軍服仕様の上着を脱いでアリアに渡す。
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