記憶喪失の君と、君だけを忘れてしまった僕
4.墜落
 たくさんの人がひしめき合っている空港の中を、クラスの列に混じって歩いている。大きな旅行カバンは機内へ持ち込むことができないから、すでに先ほどカウンターへと預けた。
 手荷物はスマホだけで、私はちょっと身軽になっている。
 その軽くなった身体で、頬をぷんぷん膨らませた。佑香は私を見て面白そうに微笑んでいる。
「機嫌直しなよ華怜、たった一週間だよ?」
「たった一週間でも、お父さんとお母さんと離れるのは嫌なのっ!」
 本心を叫ぶと、周りにいた友達も元気よく吹き出す。私は本当にお父さんとお母さんが好きだから、別に恥ずかしいとは思わない。
「ほんとに華怜はファザコンだなぁ」
「育ててくれた両親を大切に思うのは当然でしょう?」
「華怜のは度を越しすぎ。私、幼稚園の頃の華怜の夢今でも覚えてるよ?」
 その昔の話を佑香に振られて、さすがに私は顔が焼けたように熱くなった。歩きながら佑香ちゃんの肩をぽかぽか叩く。
「それ、本当に言ったらダメだからね! 言ったら絶交だからっ!」
「痛い痛い、痛いって。とかいって、私がバラしても華怜はいつも許してくれてるじゃん。それにみんなはもう、華怜の夢は知ってるよ」
「佑香が教えたからでしょうが!」
 バシンと頭を優しく叩いてあげると、佑香もみんなもさらに笑ってくれた。
 私は私がみんなを笑わせられていることが嬉しい。ちょっと恥ずかしいけど、それで笑ってくれるならからかわれても構わない。
「まあまあ、元気だしなよ。一番の幼馴染の私が、毎晩慰めてあげるからさ」
「えー、佑香が私のこと慰められるかな?」
「華怜のことは一番よく理解してるから、そこは安心していいよ」
 それはちょっと頼もしいけど、やっぱりお父さんに会えないのはかなり寂しくなると思う。本当なら、修学旅行に行かないでほしいと引き止めてほしかった。私って素直になれないから、お父さんに迷惑かけちゃうんだよね。
 きっと、お父さんは戸惑っていた。
「というか、お父さんと喧嘩したの?」
 佑香は私のことを心配してくれて、そっと耳打ちしてきた。やっぱり優しいんだなと思いつつ、引き止めてくれなかったことを話した。
 すると呆れたように手のひらをひたいに当てる。
「それ、華怜が悪いよ。ちゃんと自分の気持ちを素直に伝えなきゃ」
「だ、だって。恥ずかしいんだもん……」
「恥ずかしいからって隠してちゃダメでしょ……華怜みたいに人の好意が分かる人なんて、そうそういないんだから」
 佑香とは付き合いが長いから、私のことをよくわかってくれてる。それがとても心強い。
「でも、お父さんなんだからちょっとは分かってほしいよねっ」
「はいはい、わかったわかった」
 適当にあしらわれていると、いつの間にか飛行機の入り口までやってきていた。列について続々と中へ入っていき、佑香と並んで席に座る。
 あらかじめじゃんけんをして、どちらが窓側に座るかを決めておいた。幸いにも私がグーを出して、佑香がチョキを出したから、行きの飛行機は私が窓側だ。
 窓側は晴れていれば、雲の隙間から富士山の頂上を望める。いわば特等席というやつだ。本当はお父さんと見たかったんだけど、仕方ない。
 添乗員の方とアナウンスでシートベルトを付けるように指示を受け、離陸する前に身体を固定させた。実は飛行機を乗るのは初めてだから、ちょっと不安。
「佑香は、飛行機乗ったことあるんだっけ?」
「ん、一回だけね。といっても子どもの頃だから、あんまり覚えてないけど」
「やっぱり怖かった?」
「別にー。目つぶってれば大丈夫でしょ」
 そう言いつつも、佑香は手を握ってくれた。こういうさりげない優しさが、大きな魅力だと思う。
 しかしとても優しいのに、彼氏はいないらしい。一度どうして作らないのか聞いたことがあるけど、本人は「いやーそういうのは別にいいかな」と、私を見て照れながら言っていた。
 私も彼氏は作る気がないけど、佑香の場合はよくわからない。もしかして、私との時間が減るのが寂しいのかな。
 やがて飛行機は滑走路を高速で走り、大空に飛び立つ。わずかに重力が身体へかかり、しばらくするとそれが収まった。
 シートベルトを外していいというアナウンスが入り、私はそれを外した。佑香は握っていた手を離して「ほらね、怖くなかったでしょ?」と微笑む。
「全然怖くなかったね」と私も微笑んだけど、それはきっと佑香がいたからだ。
 かくして、乗員乗客四百五名を乗せた飛行機はゆったりとした飛行を続けた。
 しばらくすると、佑香はぽつりと呟く。
「修学旅行、来ないかと思って心配してたんだよ」
「なんで来ないと思ったの?」
「ほら、華怜はファザコンだから」
 どんな理由だと思ったけど、佑香の言う通り、お父さんが引き止めていたらきっとここにはいなかった。
「私、華怜が来なかったら実はサボるつもりだったんだよ」
「あっ、佑香悪い子だね」私は微笑む。
「だって華怜がいなきゃ、絶対に楽しめないと思ったもん。こういうこと言うのちょっと恥ずかしいけど、私華怜の一番の友達だって自覚あるよ」
 赤くした頬を人差し指でかきながら、佑香は視線をさ迷わせる。
 普段は決してこんなことを言う人じゃないんだけど、もしかすると修学旅行の浮かれた空間が素直にしてくれているのかもしれない。
 私も佑香のことは、一番の友達だと思っている。だから純粋な感情を向けてくれているのが、私も嬉しい。
 少しだけ、佑香に甘えてみることにした。
「私も、佑香のこと大好きだよっ!」言いながら佑香の肩へ寄りかかり、ほっぺに頭頂部をスリスリさせた。
「うわっ、それはこしょがしいからやめてっ!」
「佑香、私のことすっごく大好きなんだねっ」
「べ、別にそんなんじゃ……って、華怜に隠しても無駄なんだよね……」
 そうだ、私に隠しちゃっても無駄だ。
 声に出さなくても佑香の想いは態度などのいろんなもので伝わってくるし、それを自覚すると私も嬉しくなる。
「ありがとね、佑香」
「ん、どういたしまして」
 しかし数十分後に突如異変が起こる。それは私が佑香と楽しげに会話をしていた時だった。
 私たちが座っている後方あたりで、何かの破裂音が響く。それにより、周りのクラスメイトたちみんなに動揺が走り、スチュワーデスの人が原因究明までしばらくお待ちくださいとアナウンスした。
 私はだんだんと早くなる動悸を抑えることができずに、いつの間にかまた佑香に手を握られていた。
「きっと大丈夫だよ。何かの間違いだと思う」優しい声色だった。
「本当に、大丈夫かな……」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと香港まで辿り着いて、一週間後にはお父さんに会えるから」
 その言葉がとても心強かった。
 やがて機内に白い煙が立ち込めてきて、それと同時ぐらいに酸素マスクが落ちてくる。私たちはそれを震える手で必死に装着して、事態の究明を待った。
 しかし一向にそれは分からないまま、安全に飛行していたはずの飛行機の動きが不安定なものになってくる。生徒たちはみな不安の声を上げて、スチュワーデスの方は必死にそれをなだめ続けた。
 私はこんな時でもやっぱり、お父さんとお母さんのことを考え続けていた。

※※※※

 やがて飛行機は激しく揺らめき、各々の場所から悲鳴が上がる。シートベルトが身体に食い込んでとても痛い。
 まるで、レールのないジェットコースターを走っているようだった。どちらへ向かうかも分からなくて、頭の中は絶望しかない。
 窓際に座ってしまったのを、私は後悔し始める。揺れる景色を見て、だんだんと飛行機が落下しているのだと頭で深く理解させられた。こんなの富士山どころじゃない。
 知らず知らずのうちに涙が溢れていた。それはとどまることを知らずに、頬を伝っては制服のスカートへ落ちていく。
 こんな状況でも佑香は私の手を握ってくれていて、だけどそれに不安の色が混じっているのだと気付いた時には、もうダメだと悟った。
 落ちる。
 どこかで私はそれを確信した。そう確信してからは、これまでの様々な出来事が走馬灯のように頭の中をよぎった。
 お母さんの手料理、お父さんの作ってくれたお味噌汁、家族で行ったお花見、帰る場所を作るために埋めたタイムカプセル。
 タイムカプセル。
 私は思い出した。まだ、やらなきゃいけないことがあるんだと。子どもの頃に、私は密かに胸の中で誓ったのだ。お父さんが夢を叶えるのを見届けるということを。
 そんな大事なことを私はずっと忘れていた。
 そして、子どもながらのささやかなお願い事。無邪気なお願い事を思い出して、私はまだここで死んじゃダメなんだということを悟った。
 私の夢。お父さんが、小説家になるということ。
そして、帰るべき場所。
 私は心の中で願った。
 飛行機は加速的に地上へ落下していく。もう上か下かも分からなくて、様々なものが地面から宙へ浮いていた。
 その中で、私はただ一つのことを祈る。
 もう一度だけ、チャンスをくださいと――
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