続・マドンナブルー
打ち上げが終わり、咲羅は長尾と二人で帰途についていた。冷たい夜風が飲んでほてった肌に気持ちよかった。

「門倉先生、寒くないですか?僕の上着貸しましょうか」
「いえ大丈夫です。さっきけっこう飲んだので、ひんやりして気持ち良いです」
「そうですか。風邪を引いたら大変なので、寒いとき言ってくださいね。筋肉があるぶん自分は寒さに強いんで」
「ふふ。ありがとうございます。長尾先生は相変わらず優しいですね」

 心地よい酔いだった。さっきの打ち上げの後、二次会に行く波に飲まれそうになったのだが、二人でこっそり抜け出してきたのだった。

 ゲイだという長尾の告白に、同僚たちは唖然としていた。しかし、それは初めだけのことだった。

「なんだそんなことですかー。別に珍しいことじゃないですよ」

 一人の同僚の言葉を皮切りに、みんなが口を開いていった。

「私も同感です。統計によると、十三人に一人の割合でLGBTが存在するというデータがあるそうですよ」
「たしかに、こいつあやしいぞってやつ、クラスに一人はいますよね」
「長尾先生、もしかしてみんなに言えなくて悩んでたんですか?大丈夫ですって、そんなことで先生を軽蔑したり気味悪がったりしませんから。まあ、悲しみ嘆く女性はたくさん生まれてしまうでしょうが」

 みんなの視線は白井に集まった。彼女はテーブルに顔をつっぷし、人目をはばからずに泣いている。隣の同僚から頭をなでられ、慰められていた。

 黒い一本道を歩いている咲羅と長尾の足取りは軽かった。

「長尾先生、どうして今日秘密を話してしまおうと思ったんですか?」
「自分でも思いきったことをしたと思ってます。かっこつけることに疲れたんですよね。なんだか、今日の大会でゴールする直前の門倉先生の顔を見たとき、かっこつけるのってばからしいなって思ったんです」
「私、どんな顔してたんですか?ゴールするあたりのこと、意識が朦朧としててあまり覚えてないんです」
「それが、ひっどい顔だったんです。死んだ魚みたいな。その姿で吹っ切れました」
「やだっ!私そんな顔してたんですか」
「ハハハッ冗談ですよ。とてもいい顔してました。どうでしたか?一人で走りこむのと違って、大会に出るのもいいでしょう」
「はい。楽しかったです。うまく言えないのですが、選手もそうでない人も、大会に携わる人全員が一つになったような・・・・・・。私ずっと寂しかったんです。自分一人が世間から置いてきぼりにされてるような気がして。でも、私は一人じゃないんだって思いました。いつもみんなに支えられてるんだなって」
「そう思っていただけてよかった」

 長尾は満足そうにほほ笑んだ。

 二人の足は橋に差し掛かった。下には穏やかな川が流れている。咲羅はふと川に目をやった。川面は美しく、彼女は立ち止まって欄干に両手をつき、黒いビロードのような広がりを見下ろした。街灯の明かりや背後にそびえるビル郡の明かりが水面に反射し、幻想的な輝きを見せている。普段目を留めることのない身近な風物が、今日はやたらと新鮮なものに映ってくる。

 長尾も咲羅にならうように、欄干の上に両腕をつき、無造作に下を覗き込んだ。二人はしばらくの間、無言でそうしていた。

 突然、咲羅はバッグの中をガサガサと探りだした。そして、小さなポーチを取り出した。安藤からの手紙をおさめたものである。その中から折りたたまれた手紙を取り出した。

 その光景を、長尾は以前、咲羅と二人で行った居酒屋で見たことがある。感傷にでも浸りたいのだろうと、黙って彼女を見ていたが、突然咲羅が手紙を破り出したので驚いた声を上げた。

「何やってるんですか!」

 その言葉と同時に、細かくなった手紙の破片が花びらのようにヒラヒラと、川面に向かって舞い落ちていった。やがて、粉々の手紙は水流に乗って消えていった。

 その様子を、長尾は呆然と見つめた。そして、視線を咲羅に向けた。彼の目に、彼女の横顔が映る。彼女の目に川面の輝きが反射し、キラキラと光っていた。口元に微笑を浮かべ、晴れ晴れとした表情である。

 このとき、長尾の中で、かすかに動くものがあった。彼は、それを表に出さずにはいられなくなった。

「門倉先生」
「はい」

 咲羅は横にいる長尾を見上げた。

「キスしてもいいですか?」

 彼は真顔なので、咲羅は困惑顔となる。すぐに長尾は冗談めかすように笑い、

「いやーもう女の子とすることはないので、最後に先生と仕納めしておこうと思って・・・・・・」

 何だそういうことか。別に出し惜しみすることでもない。咲羅は、「いいですよ」と軽く返し、目をつぶった。キスなんてたいしたことではない。そう思っていたが、彼を待つ間、さまざまな想いが頭を巡った。最後にキスをしたのはいつのことだろうか・・・・・・。相手の顔すら思い出せない。長いこと色めいたことから遠ざかっていた咲羅の鼓動は急に激しくなった。何かを期待しているのかもしれない。しかしその矛先が、長尾に向けられているのかまでは判断できなかった。

 長尾の唇は、ほんの少し触れただけだった。緊張したため、よくわからない感触だった。長尾はあいまいな表情で、何か考え込んでいるようだ。

「キスさせてもらっておいて大変失礼なんですが、やはり女性とは違和感があるようです」

 それを聞いて、咲羅はまずほっとした。ふっと憮然とした感情も浮かんだが、それはすぐに消えてしまった。
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