生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

22、無謀な願い出

 力尽きるようにユノは床に突っ伏し、踊りは終わりを迎える。一瞬静まり返った広間は、次の瞬間盛大な拍手に包まれた。
 ユノは肩で息をしながらのろのろと起き上がり、皇帝に向かってひれ伏した。

 皇帝は興奮して席を立つ。
「噂に違わぬ見事な踊りだった! まさに神に望まれし生贄の巫女にふさわしい」
 ユノは伏したまま動かない。礼の言葉も口にしない。許可がなければ顔を上げることも声を発することも許されないからだった。

 皇帝がユノの身分が奴隷であることを知っているかどうかはわからない。どちらにしても、貴族であっても女には原則的に発言権がなかった。
 女は家族以外の男性と顔を合わせることなく、家の奥で糸を紡ぎ布を織りながらひっそりと暮らすことが好ましいとされる。機織だけして暮らせるのはごく少数の裕福な家の者に限られるが、それでも奴隷の手が足りなくて水を汲みに出たり買い物をしたりする以外は、めったなことでは出歩かない。そうやって表に出ることなく暮らすことを求められる女性には、当然公での発言権もなかった。他人の前で話すことははしたないことであり、男のみが参加を許される公で意見しようものならどんな処罰を受けることになるか知れない。

 それがこの世の風潮だから、皇帝もわざわざユノから返礼を求めることはしなかった。
「娼婦の踊りのようだったが、娼婦にはない、清らかで愛らしい踊りだったな」

 激しい踊りに衣服を乱したユノを眺めすかし、浮ついた声で告げる。
「今宵我が寝所に参るがよい」

 ユノの全身から血の気が引いた。

「陛下!」
 リウィアが悋気を叫ぶ。それで慌てた皇帝は、リウィアの手を取りなだめすかした。
「一夜だけだ。……ほれ、踊りを見るだけで女神の加護を得られるという貴重な娘だろう? はべらせればより大きな加護が得られる。わしが加護を得るということは帝国全土が加護を得るということだ」

 よく舌の回ることだ。これが執政に回ればよいのに、物事は何とも上手くできていない。元老院議員たちは呆れまじりにこの茶番を眺めている。

 冗談ではない。好きに弄ばれてたまるか。
 ユノは怒りに任せて顔を上げ、声を出していた。
「おそれながらお願いがございます」

「分をわきまえぬか、娘! 」
 怒声が響く。が、怒声の主は皇帝の片手で控えさせられた。
「まあよい。申してみよ」

 ユノは震えながら顔を上げ、口にした。


「わたくしに一度でも触れられるのでしたら、わたくしの代わりに、お側におられる妃様を神に捧げていただきとうございます」


 この場にいる全ての者が息を飲んだ。公で口を開くだけでも大それたことなのに、何ということを望むのか。あまりのことにしばらく誰も口を開けない。
 ユノはかすかに震えながらも、皇帝から目をそらさなかった。
 奴隷ぶぜいが皇帝陛下に声をかけることには恐れ多きを感じていたけど、無礼を口にしたことに恐怖はなかった。

 セリウスの言葉を思い出す。
 ──無駄に命を縮めたくなかったら皇帝陛下の仰る通りにしていることだ。
 冗談じゃない。奴隷にもなけなしのプライドがある。
 身を汚された上に、身代わりで生贄にされるなんて我慢ならなかった。

 リウィアは卒倒しかけ、方々から無礼な娘を処罰せよと声が飛ぶ。
「この娘を処刑して新たにリウィアを神に捧げるのだ!」

 罵声に混じったこの発言に、一瞬誰の言葉も途絶えた。
「誰だ!? 今の発言をした者は!」
 アレリウスが滅多に見せない怒りの形相で席を見渡す。誰も名乗りをあげない。

 と、静かに座っているだけだった老齢の議員が立ち上がった。
「皇帝陛下と妃様への許すわけにはいかない娘の無礼、価する処罰は処刑しかなかろう。しかしながらその娘は神に捧げるための娘。処刑するのであれば、リウィア様を生贄にするしかなかろう」

 アレリウスは息巻きながらも、わずかに動揺を見せた。
「トリエンシオス殿、今わたしが訊ねたのは、妃様を呼び捨てにした不埒者のことです。そこの娘の処罰も考えねばなりませんが、その不埒も放置してはおけません」

 元老院の重鎮トリエンシオスは重々しく言った。
「そもそも、先日から疑問に思っておったのです。リウィア様が妃の位を退かれ新しい妃が立ち、その妃が生贄に捧げられることになって再びリウィア様が妃に立たれたとはどういうことですかな? 妃様のご即位もご退位も元老院の承認を必要とはしないが、皇帝陛下をお助けして帝国のために尽くしている我々に一言もないとは、そこまで我々に信頼を置いてくださらないのかと自らのふがいなさを嘆くばかりです。陛下、我々の忠信をお疑いでないのならば、どうかその件についてお聞かせ願いたい」

 最後の方は皇帝に向けて語られる。皇帝は狼狽し、助けを求めてアレリウスを見た。
 アレリウスは皇帝をかばうように前に進み出た。
「リウィア様は体調を崩され妃としての役目を果たすのが困難になったので、自ら位をお退きあそばしたのです。次に妃に立たれた方が神の生贄に選ばれてしまわれたので、妃の位を空位にするわけにもいかず、リウィア様に再び妃に立っていただいたのです」
「そうだ。そういうことなのだ」
 皇帝はアレリウスの言葉を支援する。

 トリエンシオスはアレリウスから視線を外し、まっすぐ皇帝を見つめた。
「そういうことでしたら陛下、健康に難あるリウィア様より、健康で歳若いこちらの妃様をお選びいただきたい。陛下には未だ世継ぎに恵まれず、そのうえ妃様が病弱ではお子を望めますまい」

 リウィアはがたがたと震え出す。皇帝は最愛の妃が怯えて自分にすがる目を向けているというのに、守ってやるといった安心させる言葉の一つも言ってやらない。ただおろおろとアレリウスを見上げる。

 アレリウスは皇帝がたった一言も口にできないでいるのを見て小さく舌打ちし、再び皇帝とトリエンシオスの間に割り込んで返答する。
「そのことについては心配には及びませんぞ、トリエンシオス殿。リウィア様は静養なさって奇跡的に健康を取り戻されたのです」
「しかし一度は病に伏した方、やはり不安です。エゲリア・ラティーヌ神殿に下った神託では、皇帝陛下の妃様とだけのお告げでした。ですから今現在の妃様であるリウィア様が生贄になられても何の問題もないはず」

 この言葉にリウィアはとうとう気絶し、椅子にぐったりと沈み込む。
「リウィア? リウィア!」
 皇帝は気絶した妃に動揺し騒ぎ立てた。

 皇帝代理と元老院の重鎮、二人のやりとりで緊迫していた場の雰囲気は一気に崩れる。
「そのように病弱な有様で妃が務まるか!」
「アレリウス様の娘御に対して何たる無礼!」
「神託が下った段階では妃はリウィア様であったのだろう? ならば生贄になるべきはリウィアのはずだ!」
 アレリウス派とトリエンシオス派の間で怒鳴りあいが始まり、議員たちは席を立ち、中央の場に飛び出してつかみ合いをはじめてしまう。

 中央にいたユノは蹴られそうになって慌てて立ち上がり逃げようとした。しかし別の方から飛び出してきた議員に突き飛ばされてしまう。
 議員たちにユノの姿は見えていなかった。
 ユノは彼らの足の間で身を守ってうずくまって身を守るしかなかった。
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