くまさんとうさぎさんの秘密

父さんうさぎについて

by 宇佐美 優那

夏休みは、保育園でのバイトを増やしてもらえることになった。
お残りのちびっこと遊んでいて、信頼してもらえたみたい。
常勤の先生が順番に休みをとるので、サブとして時間外保育の担当に入れてもらえることになったのだ。夏休みは、学校はないし、予備校には行かない。
勉強については、、中学が私学だったので、実は、高2くらいの内容まで私学で一通り習って終わっていた。苦手の数学と理科を何とかしなければならない。
進路については、、ちょっと迷っていた。
お父さんやお母さんは、国立の名門校出身だ。
私は、お母さんに憧れていたので、大学に残りたい希望もあった。
でも、、今の成績では絶対に両親が行った大学は無理だし、数学を何とかすると言ったって、
どうしようもない。英語と国語だけなら受かるだろうけど、合計すると、受からない。
教科に偏りがあっても受かりそうなのは、お母さんが先生やってる私学だが、
授業料のことで親に頭下げるのは嫌だし、、お母さんの勤務先なんて絶対に嫌だ。

バイトなんかせずに専念したら、一番の希望に受かるかというと、
ちょっとそういう問題ではなく、もう少し根本的な問題に思えていた。

私は、ちびっこが好きだ。成長が嬉しい。
勉強すれば勉強するほど、子どもの行動というのは、成長につながっていることが分かる。
私は、一歳から二歳がお箸が持てるようにサポートするのが得意だ。
ここにはちょっと自信を持っている。

日曜日の時間外保育の時間が終わって、先生に呼ばれた。
「優那ちゃん、お父さんが迎えに来てるよ。」まるで子どもみたいで、ちょっと恥ずかしかった。

「お父さん、恥ずかしいよ。何かあったの??」と、私は尋ねた。
お母さんに分かってもらおうとしたことがいっぱいあったけど、
お父さんに分かってもらおうとしたことはあまりなかったことに気が付いた。
「優矢にここにいるって聞いたよ。すごいなあ、優那は。園長先生が、「もう一人前」って話してたよ。」
お父さんは、本当に感心したように言った。
お父さんは、地元の公立の中学校の校長先生だ。
「保育士の資格とらないのか??」と、お父さんは言った。
「分かんないよ。。お父さんの出身校の、心理学部か人間科学部に行きたかったの。でも、成績上諦めなきゃだめかも。」
お父さんは、ちょっと沈黙してから、国立女子大の話を始めた。
「あそこ、意外なほど良いよ。こないだ、うちの教授と話してきたんだけど、国立女子から三年次編入やら大学院で移ってくる子が何人かいるらしい。入試の理科が一科目だし、お前の高校からも平均的な成績で現役で合格してる子がいるだろ。」
私の頭に、そちらの女子大はなかった。

後になって考えてみると、お父さんは策士だ。
お父さんの大学に編入できる可能性を説いた。これは、嘘じゃない。
私が、入学後がんばれば、それもありだろう。
何か、あきらめなくても、がんばればいい。ちょっと視点を変えて。
そんな気がしてきた。
実は、編入組も大学院進学組もほんの一握りで、この大学の売りは、保育業界、保健衛生学業界、小学校の講師の採用率の高さだった。特に、家庭科の先生になるための大学の授業で教科書を書いている先生が集まっていた。だから、他大学の人間科学部、心理学業界とも、現場主義な研究交流が盛んだった。
それから、、、実は、この学校の卒業生のお見合い写真が欲しいという一団もあった。
ようするに、お父さんの出身校の人の間で、この学校の卒業生のお見合い写真が出回っていた。
この保育園の先生にも、何人か出身者がいた。
このころの私は、そんな大人の打算なんか知る由もない。

「一回見に行ってくるけど、私、浪人しちゃだめかな??」
お父さんは、何も言わなかった。その代わり、
「優那、アイスクリームおごってやろうか」と言った。
私は、満面の笑顔で、お父さんと腕を組んだ。

この、保育園の前の道路を毎朝お父さんと走ったことがある。
中学が辛くて、一週間ほど家に逃げ帰ってきた。
お父さんは、学校を休んでいる私を、港に遊びに連れて行ってくれた。
次の日から、毎朝、マラソンをした。
中学校はしばらく休んだけど、お茶道のクラブにだけ顔を出した。
朝、お父さんと走ってると、小学校の時塾が一緒だった子が、同じ時間に走っていた。
しばらくは、お父さんと一緒に走ってて、挨拶するだけだったけど、
そのうち、お父さんが早く出なければならない日があって、
「明日は走る??」
「毎朝走るよ」なんて、声を掛け合うようになった。

高校受験を心に決めてから、私は、また学校に通えるようになって、寮に戻った。
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