くまさんとうさぎさんの秘密
by 熊谷 ひとみ
目が覚めた。
目の前の来客用のソファーに、あちらを向いて座っている背中が見えた。顔は見えなかったけど、誰かは、すぐ分かった。優しい穏やかな香りに酔った。
篤は、香水はつけない。だから、つんとした臭いはない。ボディーシャンプーも、ハンドクリームも、柔軟剤も、穏やかなムスクの香りで揃えている。防虫剤も、香木だけを使った京都の老舗のお香屋さんが今っぽい香りにアレンジしたこだわりの品だ。スーツの保管と、季節外れの衣類の保管にに使っている。
ホテル用のアメニティに統一感を持たせて使っているので、本当に優しい、さりげない香りだ。ちょっと、年より臭い香りでもあるが、、
香水は、汚れや綻びに気がつくのが遅れるからつけないと話していた。
篤の背中がすぐそこにある。
篤の方が先に起きてるなんて、初めてだなぁと思った。
それから、いろんな記憶が走馬灯のように戻ってきて、ぼやけた頭がはっきりと覚醒する。
経過は悪くなかったはずだ。
だから、油断していた。時間をもてあましていたから、ゆっくり公共の交通機関で移動すれば、そのうちたどり着くだろうと思っていた。気持ちも穏やかだった。倒れたときにも、苦しみや痛みはなかった。でも、、今は、この様だ、、。
無理はできない。超高齢出産なんだ。。
「何で、篤がいるの？？」と、私は尋ねた。
「小西先生が、俺のところの常連さんでしょ。そもそも、お前が病院に来てるって聞いて、かまかけたんだ。「こういう状況だけど、今、必死に口説いてます。プロポーズの返事待ちなんです。」って。そしたら、「応援してますよ。経過は順調です。」って。こないだ、受付で勝手にひとみの分娩予約金を払ったんだ。だから、俺が金の件で保証人になってる。それで、俺のところに連絡が来た。」
「やめてよね。。」最悪だ。
個人病院だけど、急患も受け入れてて、とても良い病院だと思っていた。受付だけでそういう口利きみたいなことにはならないだろうと信頼していたが、、そういう落とし穴があるとは。。
「ここにいるのが俺で申し訳ないんだけど、絶対安静だから、落ち着いてよね。」
「赤ちゃんは？」私は、ちょっと焦った。
「大丈夫。ひとみがおとなしくしてればね。」
「店は？」
「いろいろあったよ。」
「いろいろって、？」
「ひとみのお腹の子どもが俺の子だってことは、みんな知ってるんだと思う。多分。」
「みんな、そういうこと仕事に影響出さずにやって来たじゃない。シングルマザーも何人か働いてたし、、。」
「それだけじゃなくて、バイト止めた若い子がさ、ちょっといろいろ店の中で俺のこと悪く言ってたらしい。つまり、ひとみが俺に無理やりされたってこと。恐いから止めたいって言いふらしてたらしい。。見ちゃったらしいんだよ。」
あれだけいろいろあって、誰にも見られてないことの方が不思議だった。
「本当の事だろ。すごい罪悪感だよ。彼女の方が店の中で立場弱いから、彼女が周りに相談しても、誰も相手にしなくて。つまり、俺はひとみに優しかったってのが、みんなの主張。。彼女、孤立して、休みがちになってやめた。彼女が止めてから気がついたんだ。」
篤は、何でもない風に言った。これが篤でないなら、ひどい男だと思ったかもしれないけど、彼がこたえてないわけでもしょげてないわけでもないことは、長い付き合いで分かる。彼は、言い訳しても誰の慰めにもならないことをしっているだけだ。
店には、１人、明らかに篤にアピールしてる女の子がいた。
多分、あの子だ。これは、女の勘だが、止めたのだって、篤が思ってるのとは180度違う理由だ。
「あっちゃん、私の方が罪は重いよね。若い同士なら、良かったのにね。私が年甲斐もなくちゃんとできなかったからダメなんだけど。店での信頼回復には時間がかかるね。」と、私は言った。
「俺、後悔してることは、何一つない。ひとみさんのこともベビーのことも。諦めない事が、結局は信頼にもつながると思ってる。」
私は、ため息をついた。
「今何時？義明は？」
「今７時。」
「７時？？帰らなきゃ。。」
私は、外が明るいことに気がついた。
「ひとみさん、義明と宇佐ちゃんなら、昨日一回顔出して帰ったよ。」
記憶がない。
「義明が、「また来るよ」って言ったら、手ふってたじゃん。何も言わないとは思ってたんだけど、、。」
うすぼんやりと、記憶が混濁する。
小西先生が部屋に入って来た。
「前嶋君、ひとみさん、お疲れ様。ひとみさんは、落ち着いてすごせば大丈夫だから。二人とも、くれぐれも興奮しないようにね。」
篤がにこやかに何か返事をする。
つまり、私は、検診のために、久々に外出して、脱水症状を起こして倒れ、救急車でここに運び込まれたわけだ。
町で急患を受け付けている産婦人科が小西産婦人科だけだったので、たまたまかかりつけ医に運び込まれた。
大して無理したつもりもないが、みんなでちやほやと腫れ物扱うようにしてくれているので、もう、今は、されるがままに甘えておこうと思った。
「あっ！！」と、私は、声をあげた。
「義明と宇佐ちゃんが、ワンルームに二人きりだったんじゃない？？」
「問題あるの？」
「寝室が一緒なんてあり得ないでしょ。」
篤が笑った。
「ひとみさん、興奮しないようにって。小西先生が」
「まあ、私がどうこう言える状況でもないか。。」
「ひとみは、今、家に１人なの？」
「私も義明のワンルームに泊まりに行く予定だったの。扉を取り替えることになったのよ。配線がややこしいし、昨日は取り付けまで。昨夜は開け閉めできない状態だから、義明の様子見がてら義明のところに一泊しようって。今日の夕方には家に戻れるのよ。」
「妊娠中にリフォームは無茶だったのかもね。」
「扉を取り替えたら、便利になるって言ってたし、、産後は産後で大変なのよ。大丈夫と思ったんだけどな。。」
「俺の車で送り迎えするよ。」
「義明が免許とったからいい。いらない。」
「免許取り立ての男にベビー預けるのは、俺が嫌だ。あいつはあいつで、他にやらなきゃならない事があるだろ。」
篤は、ちょっとイラッとしたようだ。
「妬けるな。あいつは、絶対に父親には、なれないじゃないか。」
何か、篤と義明は、似ている。目標を決めたらそこに目掛けてひたすら努力する。壁にぶち当たっても、別の方向からアプローチを始める。結局、みんな彼らの思い通りに流される。
篤がいると、部家の空気が変わる。
私は、この男のこの香りに弱かった。
顔がいい男も、肢体がキレイな男も掃いて捨てるほどいる。でも、篤の香りは、彼の生活からする香りだ。
手入れが行き届いた服を着る。自分の体も大切にする。彼の部屋に出入りするうちに、この香りに洗脳されたように、女にされてしまった。
篤の向こうに、鏡が見えた。
そこには、えらく老けた女の姿があった。
目が覚めた。
目の前の来客用のソファーに、あちらを向いて座っている背中が見えた。顔は見えなかったけど、誰かは、すぐ分かった。優しい穏やかな香りに酔った。
篤は、香水はつけない。だから、つんとした臭いはない。ボディーシャンプーも、ハンドクリームも、柔軟剤も、穏やかなムスクの香りで揃えている。防虫剤も、香木だけを使った京都の老舗のお香屋さんが今っぽい香りにアレンジしたこだわりの品だ。スーツの保管と、季節外れの衣類の保管にに使っている。
ホテル用のアメニティに統一感を持たせて使っているので、本当に優しい、さりげない香りだ。ちょっと、年より臭い香りでもあるが、、
香水は、汚れや綻びに気がつくのが遅れるからつけないと話していた。
篤の背中がすぐそこにある。
篤の方が先に起きてるなんて、初めてだなぁと思った。
それから、いろんな記憶が走馬灯のように戻ってきて、ぼやけた頭がはっきりと覚醒する。
経過は悪くなかったはずだ。
だから、油断していた。時間をもてあましていたから、ゆっくり公共の交通機関で移動すれば、そのうちたどり着くだろうと思っていた。気持ちも穏やかだった。倒れたときにも、苦しみや痛みはなかった。でも、、今は、この様だ、、。
無理はできない。超高齢出産なんだ。。
「何で、篤がいるの？？」と、私は尋ねた。
「小西先生が、俺のところの常連さんでしょ。そもそも、お前が病院に来てるって聞いて、かまかけたんだ。「こういう状況だけど、今、必死に口説いてます。プロポーズの返事待ちなんです。」って。そしたら、「応援してますよ。経過は順調です。」って。こないだ、受付で勝手にひとみの分娩予約金を払ったんだ。だから、俺が金の件で保証人になってる。それで、俺のところに連絡が来た。」
「やめてよね。。」最悪だ。
個人病院だけど、急患も受け入れてて、とても良い病院だと思っていた。受付だけでそういう口利きみたいなことにはならないだろうと信頼していたが、、そういう落とし穴があるとは。。
「ここにいるのが俺で申し訳ないんだけど、絶対安静だから、落ち着いてよね。」
「赤ちゃんは？」私は、ちょっと焦った。
「大丈夫。ひとみがおとなしくしてればね。」
「店は？」
「いろいろあったよ。」
「いろいろって、？」
「ひとみのお腹の子どもが俺の子だってことは、みんな知ってるんだと思う。多分。」
「みんな、そういうこと仕事に影響出さずにやって来たじゃない。シングルマザーも何人か働いてたし、、。」
「それだけじゃなくて、バイト止めた若い子がさ、ちょっといろいろ店の中で俺のこと悪く言ってたらしい。つまり、ひとみが俺に無理やりされたってこと。恐いから止めたいって言いふらしてたらしい。。見ちゃったらしいんだよ。」
あれだけいろいろあって、誰にも見られてないことの方が不思議だった。
「本当の事だろ。すごい罪悪感だよ。彼女の方が店の中で立場弱いから、彼女が周りに相談しても、誰も相手にしなくて。つまり、俺はひとみに優しかったってのが、みんなの主張。。彼女、孤立して、休みがちになってやめた。彼女が止めてから気がついたんだ。」
篤は、何でもない風に言った。これが篤でないなら、ひどい男だと思ったかもしれないけど、彼がこたえてないわけでもしょげてないわけでもないことは、長い付き合いで分かる。彼は、言い訳しても誰の慰めにもならないことをしっているだけだ。
店には、１人、明らかに篤にアピールしてる女の子がいた。
多分、あの子だ。これは、女の勘だが、止めたのだって、篤が思ってるのとは180度違う理由だ。
「あっちゃん、私の方が罪は重いよね。若い同士なら、良かったのにね。私が年甲斐もなくちゃんとできなかったからダメなんだけど。店での信頼回復には時間がかかるね。」と、私は言った。
「俺、後悔してることは、何一つない。ひとみさんのこともベビーのことも。諦めない事が、結局は信頼にもつながると思ってる。」
私は、ため息をついた。
「今何時？義明は？」
「今７時。」
「７時？？帰らなきゃ。。」
私は、外が明るいことに気がついた。
「ひとみさん、義明と宇佐ちゃんなら、昨日一回顔出して帰ったよ。」
記憶がない。
「義明が、「また来るよ」って言ったら、手ふってたじゃん。何も言わないとは思ってたんだけど、、。」
うすぼんやりと、記憶が混濁する。
小西先生が部屋に入って来た。
「前嶋君、ひとみさん、お疲れ様。ひとみさんは、落ち着いてすごせば大丈夫だから。二人とも、くれぐれも興奮しないようにね。」
篤がにこやかに何か返事をする。
つまり、私は、検診のために、久々に外出して、脱水症状を起こして倒れ、救急車でここに運び込まれたわけだ。
町で急患を受け付けている産婦人科が小西産婦人科だけだったので、たまたまかかりつけ医に運び込まれた。
大して無理したつもりもないが、みんなでちやほやと腫れ物扱うようにしてくれているので、もう、今は、されるがままに甘えておこうと思った。
「あっ！！」と、私は、声をあげた。
「義明と宇佐ちゃんが、ワンルームに二人きりだったんじゃない？？」
「問題あるの？」
「寝室が一緒なんてあり得ないでしょ。」
篤が笑った。
「ひとみさん、興奮しないようにって。小西先生が」
「まあ、私がどうこう言える状況でもないか。。」
「ひとみは、今、家に１人なの？」
「私も義明のワンルームに泊まりに行く予定だったの。扉を取り替えることになったのよ。配線がややこしいし、昨日は取り付けまで。昨夜は開け閉めできない状態だから、義明の様子見がてら義明のところに一泊しようって。今日の夕方には家に戻れるのよ。」
「妊娠中にリフォームは無茶だったのかもね。」
「扉を取り替えたら、便利になるって言ってたし、、産後は産後で大変なのよ。大丈夫と思ったんだけどな。。」
「俺の車で送り迎えするよ。」
「義明が免許とったからいい。いらない。」
「免許取り立ての男にベビー預けるのは、俺が嫌だ。あいつはあいつで、他にやらなきゃならない事があるだろ。」
篤は、ちょっとイラッとしたようだ。
「妬けるな。あいつは、絶対に父親には、なれないじゃないか。」
何か、篤と義明は、似ている。目標を決めたらそこに目掛けてひたすら努力する。壁にぶち当たっても、別の方向からアプローチを始める。結局、みんな彼らの思い通りに流される。
篤がいると、部家の空気が変わる。
私は、この男のこの香りに弱かった。
顔がいい男も、肢体がキレイな男も掃いて捨てるほどいる。でも、篤の香りは、彼の生活からする香りだ。
手入れが行き届いた服を着る。自分の体も大切にする。彼の部屋に出入りするうちに、この香りに洗脳されたように、女にされてしまった。
篤の向こうに、鏡が見えた。
そこには、えらく老けた女の姿があった。
