此華天女
終章 天女、帰還
 足元には芝生の緑が拡がっている。冠理女学校、園庭。雲ひとつない空を見上げれば桜の花びらが風に舞って潔く散っていく。遅い春を迎えた北海大陸には、すでに短い夏の気配が自己主張をはじめていた。
 花残月(はなのこりづき)の終わり。帝都はすでにじめじめとした雨季に入っているという。そんなときに婚儀を行おうとするなんて、と桜桃は呆れていたが、桂也乃と朝仁の決意は揺らがない。


 あれから。桜桃と小環がカイムの地へ春を呼んで一月が経過した。
 伊妻の残党狩りは柚葉の自死によって幕を閉じた。空我侯爵家は事実上取り潰され、後の管理は梅子と向清棲幹仁のもとで行われることになった。どうやら、梅子と幹仁は今回の騒動を通して懇ろな関係に至ったようだ。梅子の夫の喪が明け次第、ふたりは籍を入れるだろうと梅子と義妹関係にある桂也乃は教えてくれた。
 柚葉と実子が死に、空我と名乗るのは桜桃だけになってしまった。仕方がないことだとはいえ、淋しい。

 桂也乃はやはり無理をしていたようで、しばらく救護室で今度こそおとなしく過ごしていたが、婚約者の朝仁に早く応えたいからと今朝になって帝都へ発っていった。
 梧種光と鬼造が支配していたこの女学校は、一時的に湾が代理として働いている。伊妻と繋がっていたとされる一部の人間は憲兵に連れられてしまったが、純朴なカイムの民は経営者が変わっただけだと素直に受け入れ、湾たちのやり方に従っている。『神嫁御渡』などというふざけた儀式はなくなったが、いまもワケあり華族のお嬢様を中心とした花嫁修業は粛々と行われているのである。

「いきなりなくなったら、困る人間がいるからさ」

 と、湾は苦虫を噛みつぶしたような顔で説明してくれたが、桜桃にはその辺の事情はよくわからない。ただ、自分はもうしばらくここで小環と一緒にいられるのだと言われて、なぜかほっとしてしまった。

「いいの? 小環は男なのに」
「いいの。親父の命令だから」

 北海大陸に残った湾はからから笑って、桜桃の不安を吹き飛ばしてくれる。柚葉を失って、彼も複雑な気持ちでいるはずなのに。
 梧種光と慈雨は帝都に身柄を移された。帝がどのような判断をするかはわからないが、后妃が絡んでいることからすぐさま死刑になるようなことはないだろうと湾は言う。けれど、国家に反逆を企てるだけでなく、春を呼ぶために嫁ぎ先を持たずに厄介払いされた一部の生徒を神の生贄にしていた『雨』を唆した罪は軽くはないだろう。


「……嬢ちゃんの友達も、界夢の地に逝ったのか」

 湾は桜桃が黙ってしまったのを見て、頭をぽんと撫でて、きかなかったことにして、と呟きながら去っていく。どこか現実離れした始業の鐘の音色が耳元を掠めていく。
 湾の姿が見えなくなってから、桜桃はぽつりとその名を空に囁いていた。

「四季さん……」
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