此華天女
「銃を捨てなさい、空我柚葉」

 ……柚葉が発砲した弾は小環の傍に桜桃がいたからかおおきく外れ、空の向こうへと消えていった。

 柚葉が発砲した拳銃の音に、あらたな人物が集いだす。朱色の椿の刺繍が施された黒振袖を着て背筋を伸ばしている少女と、彼女を隣で支えている袴姿の少年。そのふたりを囲うように皇一族直属の陸軍兵士の姿がある。彼らを率いてきたのは湾だった。

「……桂也乃さん?」

 こんな格好をしていると、まるで異母姉の梅子みたいだ。

「なんとか間に合ったわね」

 桂也乃は桜桃たちに向けてにこりと笑いかける。病みあがりだからか、顔色は悪い。

「空我柚葉。伊妻の生き残りの娘である慈雨と彼女の養父梧種光とともに皇一族に対する反逆をみなしたものとして、神皇帝の名のもとにそなたを捕えさせていただく」

 軍服姿の湾が他人行儀に柚葉を呼び、高らかに宣言する。水面下で怪しいと睨んでいた柚葉はやはり黒だった。伊妻の残党とつるんで小環皇子に向けて銃口を向けている姿が、すべてを物語っている。
 柚葉は銃口を桜桃と小環に向けたまま、動かない。すでに抵抗する気のない慈雨と種光は女学校にいた『雪』の私兵と湾たちによって集められた憲兵や陸軍兵士によって身柄を拘束されている。だが、首謀者である柚葉を捕えようとする兵士の姿はない。下手に動いて小環皇子と天神の娘を傷つけることを恐れているからだ。
 湾は銃を捨てろと押し殺した声で命じてから、憐憫を交えた表情で、さびしそうに付け足した。

「天女が選んだ時の花は、お前じゃない」

 その、かなしい言葉に、柚葉がぐらりと視線を揺らす。

「ゆずにい」

 桜桃は思わず柚葉を呼んでいた。

「ゆすら、嘘だろ」

 柚葉は視点の定まっていない漆黒の深い闇を思わせる双眸を震わせながら、桜桃を探す。自分が愛する異母妹の、理想の姿を。

「ごめんなさい」

 ――見つけた。可愛い桜桃。僕だけの女神。どうして謝っているの? どうして僕を怖がっているの?

 柚葉はもう、桜桃しか見えていない。自分の周りにいかつい兵士がいるのも、共犯者であった慈雨たちが捕えられて箱馬車に運ばれていくのも、小環が桜桃の手をずっと握り締めているのも、見えていない。

「どうして謝るんだい? 約束通り、迎えに来たよ。一緒に、行こう」

 桜桃は首を左右に振って、必死になって拒む。

「行けないよ、ゆずにい」
「どうして? いろいろなことがありすぎたから、混乱しているのかな。僕と離れたのは、間違いだったのかな……」

 柚葉は桜桃に縋るように近づき、手にしていた拳銃の向きを変える。どうして桜桃に銃口を向けていたのだろう。これじゃあ怖がってしまうのも仕方がないな。

「ゆずにい?」

 怯える桜桃に柚葉は淡く微笑む。

「安心しなさい、ゆすら」

 それでもまだ怖い? あのときのように暴漢に襲われるんじゃないかって? もう二度と、あんな目には遭わせないと誓うよ。
 だけど。

「なにを……」

 その場にいた全員が、柚葉の奇行に息をのむ。
 柚葉は銃口を自らの頭につきつけて、嬉しそうに笑っている。まるで、悪いことをするやつは、僕がやっつけてあげると言いたそうで……


「ゆずにい、駄目っ!」


 必死に止めようとする桜桃の声は、柚葉に届かない。
 春雷を思わせる鋭く甲高い音は、まるで悲鳴のように轟いた。


「悪いやつは、やっつけた――……」


 銃声に重なっていたにもかかわらず、柚葉の誇らしげな声は、いつまでも桜桃の耳底から離れなかった。
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