君のいた時を愛して~ I Love You ~
 フロアーに出ていた俺は、店内アナウンスに呼び出されて事務室へと戻った。
「すいません、何かありましたか?」
 店内ルールで、俺の呼び出しは『ナイトライダー』のテーマだから、イントロが終わらないうちに、俺はバックドアから事務室に入った。
「中村さん、病院から電話があって、奥様が倒れられたそうです」
 事務のスタッフの言葉に、俺は恐怖で凍り付いた。
「倒れたって・・・・・・」
「詳しいことは、中村さんでないと話せないってことでしたから、これが電話番号です」
 メモを渡され、俺は裏口から外に出た。


 コールは二回、すぐにやさしい声の応対があった。
「あの、中村幸の夫の、中村幸多と申します」
 俺が名乗ると、受付の女性は『医師に代わりますので、お待ちください』といって電話を保留にした。
 痺れるような、痛いような、異常に長く感じられる待ち時間の後、電話が医師につながった。
『大変お待たせいたしました。医師の佐伯でございます』
「あの、中村幸の夫の、中村幸多と申します」
 俺が再び名乗ると、医師はすぐに話し始めた。
『実は、前回血液検査と尿検査をさせていただいたのですが、異常値で大きな病院での精密検査が必要だとご説明しましたところ、急に貧血のような症状で倒れられたので、今は処置室で様子を見ているのですが、ご主人、すぐにいらっしゃれますか?』
 医師の問いに、俺は今日のシフト体制を思い出す。バイトならば、すべてを投げ出して、それこそ、職ごと投げ出しても駆けつけるところだけれど、大将の紹介で契約社員となると、なかなか自由が利かないというのが事実だ。
 俺が答えに窮して黙していると、背中側の扉が開き、マネージャーが姿を現した。
「中村君、奥さんが倒れたんだって? 今日は、もう上がりなさい」
 マネージャーは俺の返事を待たずに言うと、再び店の中に姿を消した。
 多分、電話を受けた事務の女性が気を利かせててマネージャーに報告してくれたんだろう。俺は、ずっと働いていた前の職場では考えられない心配りに、胸が熱くなった。
「はい、すぐに伺います」
『病院の場所はお分かりになりますか?』
 医師の問いに、場所をきちんと聞いてなかった自分が恨めしくなる。
『では、受付の者から、詳しく説明させますので、くれぐれもお怪我の内容にいらしてください』
電話を代わった女性は、丁寧に病院の場所を説明してくれた。
「ありがとうございます。すぐに伺います」
 俺は言うと、電話を切った。
 それから、クラーク・ケントばりのスピードで着替えると、俺はサチのいる病院に駆け付けた。


 受付時間を少し過ぎたのか、入り口には『受付終了』の札がかかっていたが、ドアーはロックされておらず、俺は病院の中に入った。
「中村さんのご家族の方でいらっしゃいますか?」
 奥から出てきた女性が、俺に問いかけた。
「はい。夫の中村幸多です」
 俺が答えると、女性は奥に案内してくれた。
 俺はすぐにサチのところに案内されるものだと思っていたから、通されたのが診察室で、待っているのがサチではなく、男性だったので少し部屋に入るのを躊躇した。
「医師の佐伯です。お待ちしておりました」
 俺の躊躇いを感じとったのか、医師が名乗ったので、俺も何度目かの名乗りをして診察室に入った。
「奥様の状態はあまりよくありません。紹介状も用意しましたので、このまま救急車を呼んで大学病院での精密検査と治療を始めるのはいかがですか?」
 次々に繰り出される予期していなかった言葉に、俺は狼狽え、答えに窮した。
「もしかして、奥様のお体の具合がずっと悪いことをご存じありませんでしたか?」
 止めの一発に、俺はうめき声をあげそうになった。
 確かに、サチは具合が悪かったこともあるし、寝込んでいたこともある。でも、よくなったと言っていたのに、顔色が悪くなって、それで病院に無理やり行かせたのは俺だ。
「あの、具合が悪いのは知っています。俺が病院に行くように言ったので。しばらく前も具合が悪かったり、風邪をこじらせたりしていましたけど、そんなに悪いなんて・・・・・・。サチは、病院嫌いで、何度言っても病院には行きたがらなくて・・・・・・」
 俺が言うと、医師は納得したようだった。
「そういうことであれば、やはり、このまま大学病院に行ったほうが良いでしょう」
 医師の言葉に、俺はうなずくしかなかった。
 サチは、倒れてから今まで、俺が病院につくまで一度も目覚めず、ずっと眠ったままというか、意識がないままらしい。
 俺はサチの手を握って俺の体力の一部でも、サチの体を治す力になって欲しいと、ただただ祈ることしかできなかった。

☆☆☆

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