君のいた時を愛して~ I Love You ~
「ただいま」
 俺が声をかけて扉を開けると、サチが振り向いた。
「おかえり、コータ。ちゃんとバスで帰って来たんだね」
 時計を見ながらサチが嬉しそうに言った。
「サチ、ちょうど仕事の前に大将にサチの事話してみたら、ちょうど小女子(こうなご)さんが辞めた後だから、是非、面接に来て欲しいって」
 俺の言葉に、サチが瞳を輝かせる。
「いつ?」
「それが、今日の夜が開くまでに来て欲しいって」
 急な話だから、サチも嫌がるかと思ったが、サチはすぐにハンドバッグを手に取った。
「今からで間に合うかな?」
 サチは言いながら、『あっ』という表情をした。
「どうしよう、私、履歴書なんて書いてないし、スーツもないよ。それに、住所不定だし・・・・・・」
 サチの言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「大丈夫だよ。俺なんか、店の表に貼ってあった張り紙見て、いきなり訪ねて面接だったから、スーツも何も、履歴書も何にもなかったけど、大丈夫だったよ。そういう意味で言うと、スーパーの方が面倒かな、一応、履歴書を書いて写真を貼って持って来いって言われたから」
 俺の言葉に、サチが安堵する。
 俺はカバンからサチのパスケースを取り出して、サチに手渡した。
「俺は、少し休んだらスーパーのバイトに入って、夜はいつもの時間になるから、サチ一人で大丈夫だよな?」
 サチの保護者でも彼氏でもないのに、俺は偉そうな口をきいていると自分で思いながらも言ってしまう。
「大丈夫。あ、でも、コータとの関係はなんて説明するの?」
「俺は、友達って言ってある」
「でも、住所が同じだよね?」
「ここはアパートだし、それに、大将の所のバイトは、そんなに細かくないから。アパートの名前だけ書いておけば、大丈夫だよ」
「わかった。お隣さんってことにしておく。じゃあ、行ってくるね」
 サチは清々しい笑顔を残し、部屋を出て行った。
 俺は疲れた体を休めるため、念のためアラームをかけてベッドに横になる。
 久しぶりの労働のせいか、俺の意識はあっという間になくなり、世界はブラックアウトした。

 けたたましいアラームの音に、俺は手探りで時計を探した。
 最近は、サチが早起きで起こしてくれることもあり、ほとんど聞くことのなかった目覚まし時計のアラームの音が妙に懐かしく感じる。
 ああ、気付かないうちに、俺はサチに依存してる。
 昔、知らないうちに世界のすべてが美月と一緒にいるためにあるように、俺の存在は美月の為にあるように、美月との人生だけが俺の人生だと信じて、美月を愛して、全てを美月に捧げて、最初は美月が俺に依存して、俺は美月を大切にする事ばかり考えて、気付けば俺の方が美月に依存していた。
 美月に裏切られたあの日、もう誰にも依存しないと誓ったのに、これじゃあ美月の時の二の舞だ。最初は、サチが俺の部屋に転がり込んできて、守ってやらなきゃと思っているうちに、俺がサチの存在に依存している。
 俺って、学習能力が低いんだな。
 俺は苦笑いを浮かべながら、重い体を持ち上げて起き上がる。この調子じゃ、明日もバス通勤だな。一週間も休んだのに贅沢だよな。
 そんなことを考えながら、俺は荷物を片手に部屋を後にした。


 スーパーの仕事は肉体労働だ。レジ打ちの女性パートさんたちの足のむくみと腰痛との戦いも深刻だろうが、男性バイトの肉体労働は半端じゃない。次から次へと箱ものが運び込まれ、台車に積み込み、陳列棚の前で降ろし箱を開けては陳列する。
 体が冷えて熱がぶり返すのは怖かったので、保冷庫までは箱を運び、後の陳列は学生のバイトに頼んで俺は常温の棚にドリンク類を運び、陳列棚にドリンクを並べて行く。
 仕事をしながらも、サチの面接の事が気になる。
 サチは採用されるだろうか? それとも、大将はサチ以外の女性を選ぶだろうか?
 結局、バイトの時間中、俺はサチの事ばかり考えていた。
 緊張感が欠けているせいか、棚を間違えたりもしたが、見つからないうちに修正する事が出来たので、バイト先で怒られることはなかった。
 しかし、いつものようにダッシュで食材を確保に行くことはできなかったので、今日の収穫はキャベツのカブの葉だけだった。
 一週間も離れていると、やっぱり感覚が鈍くなるらしい。
 今日はサチが面接に出かけたこともあり、俺はシフトが上がってから、お湯で温めて食べられる冷凍ハンバーグを二人分買って帰ることにした。


 帰宅すると、サチが鼻歌を歌いながら狭いキッチンで料理していた。
「サチ、ただいま」
 俺が声をかけると、サチは笑顔で振り向いた。
「コータ、おかえりなさい! 面接受かったよ!」
 サチは言うと、コンロの火を消してから俺に抱き着いてきた。
「コータのおかげだよ。大将がね、コータの友達なら、しっかり働けるだろうって、すぐに採用してくれたの」
 サチの言葉に、俺は今までコツコツと真面目に働いてきた俺の仕事に対する評価がサチの採用につながった事が嬉しかった。
「そっか、何時から?」
「あ、今日ね、トレーニングを兼ねて働いてきちゃった」
 サチの言葉に、俺は目を丸くした。
「働いてきたって・・・・・・」
「うん、夜の部ね」
 サチは何事もなかったように答えた。
「あ、私が新しい小女子(こうなご)だって」
 サチは言うと、再び台所に戻りコンロの火をつけた。
「夜も忙しいんだね。あのお店、狭いのに結構な席数あるし、お酒におつまみ、魚料理。結構人気のあるお店なんだね」
 サチの言葉に、俺はベテランでないと夜は務まらないと先輩方に言われていたことを思い出す。
「お酒が入ると、変な気を起こすお客もいるから、私は明日からは昼間だけって大将に言われた」
「何かされたのか?」
 俺は心配になってサチに問いかけるが、サチは笑って見せた。
「大丈夫だよ、今日のお客さんはおとなしかったから」
 サチは言うと、再び火を止めてお皿を取り出す。
 最初は、俺の分だけしかなかった食器が、今ではちゃんと二人分、それにカレー皿や小鉢なんて洒落た物まで用意されてる。
 そこまで考えて、俺は既に夕食の支度が終わっている事に気付いた。
「あっ、ハンバーグを買って来たんだけど・・・・・・」
 俺がパック詰めの冷凍ハンバーグを手渡すと、サチは嬉しそうに受け取ってそれを冷蔵庫の上の段の隅にある冷凍トレイの上にしまった。
「今日はね、大将が採用祝いと、お給料の代わりって、金目鯛の半身をくれてね、味付けの方法も教えてくれたから、今晩は、金目鯛の煮つけだよ」
 すごく嬉しそうなサチが背を向けている間に、俺はさっと着替えを済ませた。
 夕飯の席は、サチの経験した久しぶりの仕事、夜の店の雰囲気の話で盛り上がった。
「明日からは、一緒に通勤だよ」
 嬉しそうに言うサチに、俺も思わず顔がほころんだ。
「ねえ、お給料がでたら、自転車を買おう。そうしたら、二人で一緒に通勤するの楽だよね?」
「給料が出るのは、一ヶ月も先だし。自転車の二人乗りは禁止だろ?」
「えっ、そうなの?」
 サチは驚いたように言うと、しばらく考え込んだ。
「じゃあ、バイク?」
「高いし、免許がないよ」
「そっか、じゃあ、キックボード?」
「よかった、次は車っていうかと思ったよ」
 俺の言葉に、サチが笑う。
「そんなこと言わないよ。だって、バイクの免許がないってことは、車もないって普通思うもん」
「そうなのか?」
「たぶん。具合が悪かったり、雨の日はバスで、晴れたら二人で歩けばいいよね」
 サチは働きに行くというのに、とても楽しそうだった。
 食事の後、俺たちは早足で銭湯に走り、一日の疲れを流してから、いつものように背中合わせで眠りについた。

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